もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親の種類

私にとっての「毒親」は、母親でした。
家族構成は父・母・姉。

姉は5歳上で、私が10代後半のときに結婚し家を出て行き、その数年後から母との関係に疲れるようになりました。

その頃私は、バイトながらそこそこお金も稼ぎ、友達も増え、それなりに楽しく過ごしていました。
ただそうやって友達もできて、出歩く私に対し、母はいい顔はしなかった気がします。

学生時代は彼氏もいましたが、だんだんと過干渉になる母に、彼氏が欲しいともあまり思わなくなっていました。
1人出会うと「何歳?どこの人?何してる人?」
親として聞くのは当然のことだと思うけど、母の場合はまるで尋問。
まだ、結婚だって考えてもない、そんな段階から「長男か?」とか聞かれ『うん、多分長男』と言うと「そら、あかんわ!」と言われる。

当時はなぜかわからなかったけど、答えは簡単で
娘2人のどちらかに婿をもらって、同居させる。姓を継がせる。それが母の人生目標だったのです。
それで、姉は先に嫁いでいったので、ターゲットは私という訳です。

このご時世、ものすごく良家だとか、目立つ魅力もないようなとこにわざわざ婿入りする人なんかいると思うか?と今になったら思いますが
(そもそも長男でないひとを探すのも結構難しい)母は私が家を出るまで、本気でできると思っていたらしいです。

そんな感じで、ちょっといいな、と思う人ができても「母の過干渉の壁」を越える方が面倒だと感じるようになった私は
その頃から恋愛を避けるようになり、それから真剣に付き合えるひとを欲しいと思ったことがない。し、できたこともない。

もちろん元々の性格とか、自分にも欠如している部分はあるし、恋愛できないのを親のせいにするなよ、とも思っています。
でも、本気でひとを好きになった時代も確かにあったし、そのあたりから意識的に恋愛を避けるようになったのも事実。

他にも詳しいエピソードがいくつかあるので、また追々書いていこうと思います。

彼氏だけでなく、友達も含め、母はとかく他人との関係の構築を妨害するタイプの「毒」の持ち主だったな、と今になって思います。

放任しろってことではないんです。

子ども自身の「人との出逢い」
それは「人生の開拓」でもあると思う。

しかしそれは過干渉親からすると=手元から子どもが離れることなので、それを暖かい目で見守れない、祝福できない親だったんだと思います。

ブログ開設のきっかけ

まず、「毒親ってなに?」な方は、お帰り頂いた方が良いかと思います。


「毒親」と一言に言っても色々な人がいると思います。 実際、関連した書籍も読みましたが、やはり人それぞれの家庭環境が違うので、市販の実例をもとにした書籍なんかではあまり共感する部分、参考になる箇所はありませんでした。

逆に、ネットの掲示板なんかを見てると「そうそう!これもしかして私のこと?」って思うくらい共感でき、何気ない書き込みがすごく心に残ったり。そういう、生々しい「現場の声」に実は一番励まされています。


私は、今は一応家も出て形式上「毒親から離れる」ことに成功した一人です。 ここまで、約10年かかりました。

大まかな流れとしては

姉が嫁ぎ私が「一人娘」のようになった

私を手放したくない親からの過干渉

精神崩壊寸前で、数年前に一人暮らしを開始

家を出れば解決!と思っていたのが全くそうではなく、家を出る前とまた違うことで頭を抱える←今ここです


とりあえず家を出て「物理的」なことを実現させただけで、私自身も「精神的」にはまだ整理しきれていなかったんだな~と、突然涙を流したりもする日々です。

文章にすることで色々な考えを少しでも片付けられたら...との思いで書いてみることにしました。

先ほど挙げた「掲示板」の”生々しい声”のように、同じ境遇で悩んでいる方へ、何か伝わるものがあればとも思っています。

中には不愉快な表現なんかもあると思います。

私自身も、未熟ゆえ、そのあたりはお許しください。

ゆるりと書いて行きます。