もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

どうすればあんな風になれるのだろう?

中学生の頃、くーちゃんという女の子がいました。

 

彼女は、明るくて朗らかで人を笑わせる人気者で、男子からも女子からも「嫌い」という声を本当に聞いたことありませんでした。

成績こそあまり良くなかったものの、それを先生にイジられても笑いに変えて、どうすればあんな風になれるのだろう?と羨ましく思ったものです。

 

くーちゃんとは、1度同じクラスになったきり、高校に入ってからは交流はありませんでした。

しかし、ある朝、偶然同じバスに乗り合わせ、その後も何回か同じバスに乗ることがあり、くーちゃんは私より遠い高校に通ってるのに、このバスで間に合うの?と聞いたことがあります。

すると「誰も起こしてくれへんかってん!家族全員、寝坊」と、笑いながら話しているのを聞いて、耳を疑いました。

え?どういうこと??

私も恥ずかしながら、学生時代は親に起こしてもらっていました。

父が最初に起こしに来て、それでも起きないと母に起こされます。

1回で起きろ!と母に怒られるのが嫌なので、遅刻なんぞしたことありません。

姉の方が朝に弱く、何回言っても起きない姉の頭を私の目の前で母が叩いていたことも覚えています。

どこの家もそうだと思っていたので、家族全員が寝坊…?どういう状況?とカルチャーショックすぎて、その日はずっとそのことを考えていました。

朝起きなくて、怒られるどころか、親が寝ている…?

どうしても想像ができませんでした。

 

その後、またくーちゃんに会った時にもこんな話を聞きました。

くーちゃん「お父さん、ほんまうざい!笑」

私「なんで?何か言われた?」

く「行ってきますって言ったら、あ!くーちゃん!忘れ物!って言うから、え!何?って言ったら、お父さんなんて言ったと思う?『スマ~イル』やって!あほか!笑」

 

その時に、中学時代の「どうすればあんな風になれるのだろう?」の謎が解けた気がしました。

 

きっと、うちのような殺伐とした家で育ってないのだろう。

 

その一言に尽きます。

 

件の、遅刻については

確かに遅刻はよくない。見る人が見れば、くーちゃんのおうちは、だらしないのかもしれない。

でも、心構えとしてはその程度でいいんだろうなぁって。

 

学生時代、私は母に怯えながら朝起きてただけで、結局1人暮らしになってから数える程ではあるものの、寝坊したことも普通にあります。友達の所に遊びに行く為、予約していた新幹線の発車時刻に起きたこともあります。

あれだけ厳しく起こされてはいたものの、ただ母に怯えていただけで、身についたかは謎です。

厳しくしたからって、できるようになるとは一概に言えません。

それなら、少しでも嫌な気分にならず、おだやかに、しつけられるのがいいなぁと思うのです。

何回言ってもできなければ、叱ってもいい。

ただ、母はただ単に自分の機嫌にまかせて怒鳴っていただけの時も少なからずあったと思います。

 

100歩譲って「あれはしつけだったんだ」と思ってはみるものの…

くーちゃんのお父さんのような「朗らかさ」は、うちにはなかったと思います。

 

実家での、あの殺伐とした、糸の張りつめたような雰囲気は、一体何だったんだろう、と思うこの頃です。

 

 

神様がくれたお休み

誰でも、殿堂入りしているドラマがあると思います。

 

私の不動の1位は、非常にありきたりですが「ロングバケーション」です。

最初の放送は私が中学生の頃でした。

あの時の山口智子さんのサバサバした感じがすっごくかっこよくて、冗談抜きで「あんな風になりたい!」と初めて思った大人の女性でした。

 

小さい頃から、自分はほわほわした女の子らしい雰囲気はないし、モテ要素がないことも気が付いていました。でも、ロンバケを見て、南が最後に幸せになった時に「私も南のようなノリで生きて、瀬名のような人を探せばいいんだな」と、本気で思ったものです。

他には「貴子(広末涼子さんの役)ちょー腹立つ!」とか「竹野内かっこいい」程度の感想しか出なかったんですね。中学生の頭では。

 

その後、再放送される度に録画しては見るんですけど、回を重ねるごとに、まぁ、泣けるんですね。

もう、一番最近に見た時なんか、わりと序盤で号泣です。

 

それで、ありきたりですが、瀬名のセリフをもし知らない人がいたら、人生損してる気がするので貼り付けておきますね。

 

ほら、あるじゃん、何やってもうまくいかないとき。何やってもダメなときって、ね。そういう時は、なんて言うのかなぁ、言い方変だけど、神様がくれたお休みだと思ってさ、無理して走らない、焦らない、頑張らない。自然に身をゆだねる

 

神様がくれたお休み!ほう!と最初に感銘を受けたのは、高校が嫌で嫌で辞めたかった時に見た再放送の時だったかと思います。

それから、うまくいかない時は瀬名のセリフを思い出してきました。

人生で一番私を励ましてくれたのは、瀬名と言っても過言ではない…

 

そして今まさに「神様がくれたお休みなう」です(言うて、何回お休みするんだって感じもしますが)

それでいいのです。

無理に頑張らない。

 

あと、ロンバケ論語り出すと夜が明けるので、今回はこのあたりにしておきますね。

(それにしても瀬名って草食男子のはしりだよな~)

負の感情はバネにならない?

家を出てからは、まず「母のことを嫌いと思う自分」を「だめじゃない」と認める作業の毎日でした。

何せ、家を出るにあたり「裏切り者」と罵られ(念のため説明すると、ここまで育ててやったのに、私の思い通りに家に残ろうとしないことは、親への侮辱であり裏切りである!という過干渉親独特の考え)本当に自分が「裏切り者の出来の悪い娘」と思い込んでいました。

 

「母を嫌うって、悪いことじゃないんだ」で、止まればよかったのですが、今までの理不尽なことに腹が立って「復讐」とか「上に立ってやる」みたいな考えが先に出てきたんです。

お前、毒親って言うんだよってわからせてやろうか、とか、謝らせようか、とか。

もちろん、今はもう思いません。それ言ってわかるくらいなら、元々毒親になんかならないでしょうからね。

 

そんな時に、でも、今までぬるま湯に浸かって暮らしてきたのも事実で、家を出て、本当に1人で生きていかなきゃ、の焦りもあって「何か資格とろう」と、思ったんです。(気付くの遅いし、単純すぎる)

まぁ、実家にいたらきっと何しても何かしら言われるし(こんなに通わなきゃなんないのとか、いくらかかったのとか、どんなことしてるの?見せてとか)せっかく横やり入れられず思ったことできるんだし!と、一念発起したのですが、最初から難関資格を狙いすぎて、合格は程遠く、3年ほどやってやめてしまいました。

 

けして真面目にやっていなかった訳でもないんですが、やめてからふと「私本当にこの資格取りたかったのかな」と考えた時、ちょっとかじったことがある程度で、別に好きでもないし、実際始めてからも嫌で嫌で仕方ありませんでした。

気付けば「あいつ(母)より偉くなってやる」みたいな気だけで勉強してて、それじゃあ頭に入る訳がないし、恨みとか怒りとか、そういう負の感情って、あまりバネとか励みにもならないのかなぁと後になって思いました。

「なにくそ!」だけで頑張れる人もきっといると思うんですけどね。

 

でも私はその勉強をしてる間、全く楽しくなかったので、「ワクワクする」とか「楽しそう」とか、それをやっている時の自分を少しでも好きになれそうなものが出てくるまで、やりたいこと探しを無理してやらなくてもいいかなぁと今は思っています。

 

それは、資格に限らず、他のことかも知れませんが、いつも「何もしない」ことが「悪」みたいな気になりがちだったので、今は「何もしたくないから、しない」でいいし、「何もしない自分を責めない」ことから始めています。