もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒は連鎖する?私の「毒の連鎖」

最近まであまり自覚はありませんでしたが、一時期の私は「アイドルオタク」を超えて「アイドル依存症」だったのだなと思います。

今日は、それについて書いてみようと思います。

 

私の好きなアイドルはわりと知られているグループで、生で見たければライブのチケットが当たれば叶います。ようは、それなりのお金と労力さえかければ、それなりのものが返っては来ます。

私はその為に借金こそしなかったものの、実家にいて一番しんどかった頃は自分からオタク活動を取ると何も残らないくらい、依存していました。気持ちの面でも、お金の面でもです。

なぜ私にアイドル依存が合ったかと考えると「こちらがやりたい分だけやって、定義だとか基準みたいなものはそれぞれの価値観で決められる」というところだったのかな?家では、訳のわからない基準や価値観の押し付けばかりだったので、それが相当嫌だったのでしょう。

それから、当たり前なんですけどライブ中って演者本人はもちろん、客席も大体皆笑っていますよね。毎日毎日不機嫌な母を見ていると、ただ、何万人もの人が笑ってるこの会場って何て幸せな空間なんだろう、奇跡なのでは?と、これは今でも公演中、時々客席を見渡す癖があるほど。

ただ、困るのが、人気公演でチケットが取れないとか、仕事でどうしても休めないということになると、荒れに荒れるんです。そんな精神状態で暮らしていたので、正直その頃のオタク活動以外の記憶が大半ありません。やってた仕事の内容とかもふわっとしか思い出せないし、一緒に働いていた人の記憶もほとんどありません。

 

「何かに依存する」ということにはACが大きく関係しているとは思うのですが、この間ネットで見つけた言葉にちょっと納得しました。

ACの人には「安心して、本音を言える場所」がないから「安心できる、安全な "基地" が必要」といったようなことでした。

他の依存症には当てはまるかわからないけれど、おそらく私にとっての " 基地 " がオタク活動全般だったのだと感じます。

それで、初めて「友達作り」も本気でやった気がします。それを私にとっての「安心・安全な " 基地 " 」にしたかったから。

オタク関係の友達って多少の利害関係もあるけど、合わないとフェイドアウトするので「続く」ということはそれなりに合うということだと思うのです。今でも、オタクきっかけでも仲良くしてくれている友達は少数ながらいて、本当に心の支えになっています。

 

例えば、学生時代なんかも、好きな友達が転校するとかになると、泣いたりはしていたけど「離れること」が悲しいだけで「心の支えがいなくなる」的な悲しさを感じることはありませんでした。ただ「明日からいない」という物理的な事実に泣いただけで、別に夕飯の頃にはケロッとしていたし、そんな私が「心の支え」を20代も後半あたりで見つけられただけでも、無駄にはならなかったのかな?

 

ただ、後になって気がついたのですが。

好きだったグループは、追っかけていた頃はさほど人気もなく、すごくそばにいる感覚だったのですが、ある時を境に有名人となれたのです。

昔は地方公演なんかはチケットが余って捌けないことも多々ありましたが、今やドームを埋められるほどになりました。もちろんそれは喜ばしいことなんですが、古くからのファンには面白くないことも出てくるわけです。その時に私は「誰のおかげでここまで来れたと思ってんのかな」という気分に苛まれたのです。

自分が勝手に好きになって追いかけて依存して「将来はこうなってほしいな」と勝手に期待して、その理想と現実が自分の思ってるのと違ってくると「あんなにしてやったのに」と、拗ねてみたり、暴言を吐いたり。

…これって何かに似ていませんか?

「毒は連鎖する」とはよく言ったもので、私はそのアイドルに対して母が私にしたことと全く同じことをしていました。私のアイドルの愛し方は、まるで母親にそっくりでした。

ただ、連鎖はしたものの本人たちにはとくに影響はなかったので「エア連鎖」で済んだのが不幸中の幸いといったところでしょうか…

 

それでも、生きるのが嫌で嫌で仕方なかった私が、手元にある彼らの次の公演のチケットを生きる糧にして「この公演の日までは、頑張って生きてみよう」と思えていた時代もあった訳で、なんだかんだ今でも彼らのことは好きです。

ただ「依存」はしていません。

公演には行けたら行く、出ているテレビも見たけりゃ見る。無理が生じるほど、お金を積んだり時間を割いたりはせず、ゆるりとファンを続けています。

「女であること」に抱く嫌悪感について

毒親育ちの方の中で「女」として扱われるのが嫌みたいなエピソードをよく見かけます。私にも軽くですがそういう部分があります。でも、原因が自分でもいまいちよくわかってはいません。

原因としてよくあるのは「女性」になりつつある娘に対抗心のある母親が、わかりやすく下着や生理用品を買い与えなかったり、親が性生活にだらしなく幼い頃からそういうものを見聞きしてしまったため、など他にも色々ありますが、私の場合思い当たる節がありません。

でも、いつの頃からかそういうことに若干嫌悪感を抱くようになり、最近気になるのはSNSで「今日女の子の日」とか呟く人が好きではない…ほぼ毎月呟いてる子とかいますけど(鍵なしで)それ、言ってどうするの?と思ってしまう。まぁその人にとっちゃ「今日、お昼パスタ食べた」くらいの報告なんだろうな、と見流しているけど、自分ではそんなの絶対に書きたくないです。若い子ならまだしも、結構な年齢の人が書いてるとなぜか結構引いてしまう自分がいる…。

なので時々「生理のときの女の子はこんなに辛い!男の子はいたわってあげてね」みたいなツイートがバズってたりしても、何かなぁ…こういうの、いらね。ってなります。

まぁ、人に訴えなきゃいけないほど自分自身の症状が酷くないからかも知れないけど。

なので、前にもつい衝動的に書いたこの記事も「何か」が相当嫌だったんですよね。

tari97.hatenablog.com

このブログは暇なときに書き溜めてるのを公開前にちょこちょこ推敲して更新しているので、当日中に書いた記事を上げるってほぼないのですが、何となくあのときは反吐が出そうなくらい気持ち悪くて、衝動的にupしてしまった。

私は見た目も心も確かに「女」だし、女でよかったとも思うのだけど、それを外野に必要以上に表現されると途端に気持ち悪くなるんです。

これって何なのかな?

前にも毒親育ちの仲間(男性)に私の好きな人との話を聞いてもらってて、まぁ泊まりになるだろうからそれも言ったのですが、ちょっと「夜のこと」を連想させてそれも頑張れみたいに言われたときも過剰反応して噛みついてしまったんですよね。

確かにね、30代の男女が何もない訳ないけど、ないんですけど…どうしてもまだそこで「そうなの~お泊まりなの~♡」みたいに言うのが、できない…そういうこと言う自分が気持ち悪く感じる…

 

あとは特に職場では「女」を出すのが嫌、と言うか「女アピールしているな」と思われるのが嫌なんですよね。だから化粧とか服もわざと適当にして行きます。

男性に「女」として見られるのが気持ち悪くて、以前の職場は男性が7~8割くらいを占めていたため、苦痛でした。

自分のことなんか誰もそこまで見てないのに(笑)

色々考えたらまぁ下の記事にあるように「男性に会う」ことに良い顔はしない母だったし、昔はしつこく「髪の毛、短くしたら?」と切るまで言ってきたりしてきたから、そういうのが積もり積もったのかな?と思っていますが。「女」である自分に、どことなく罪悪感があるのかもしれない。

tari97.hatenablog.com

でも、私が好きなアイドルを見に行くときは自分の中で「やりすぎ」なくらい、女を意識した格好をして行くんですよね。

年甲斐もなく露出度高めなワンピとか着て、思いっきり「女」の私で推しに会いに行くんですよ。何か「アイドル相手なら許されるだろう」みたいな気分で、まぁそれはそれで楽しいんですけど、抑えていた思いの反動なのかな。

毒親あるある?子どもみたいな親

幼い頃から、同年代の子たちにすごく馴染みづらい感覚があって何か自分は皆と違う、違和感みたいなものを感じていました。

自分がませてて冷めてる自覚はありましたが、まぁ姉が5歳上だし姉に合わせて話すからかな?程度にしか感じていませんでした。

ただ、保育園の頃からお遊戯とか楽しいと感じることがなくて、何で皆があんなに楽しそうに笑ってできるのか不思議で、楽しめる子が心底羨ましかったです。

 

その頃の感覚は、そういうお遊戯とかやりたくないことを " やらなくていい方 " の自分がもう1人いて、私に『嫌だけど、子どもらしくこなしなさい』と言って、一方現実の私は " やらないといけない方 " の自分で、仕方なく子どもらしくふるまって、その場をしのぐ、みたいな感覚でした。

当時は『皆が幼稚なんだろうな』ということで片付けていたけど、あの感覚は何だったのだろう?その「もう1人の自分」が私生活に影響を及ぼすことはないので皆そんな感覚があるのだろうか?と思って過ごしていましたが。

ただ、自分が異様にませてて、同い年の子たちを『幼稚だ』と下に見ていたり、やたら冷めていた感覚は、母から「大人っぽい対応」を求められすぎていた結果じゃないかな?と、最近思いました。

と言うのも、社会に出てから世の中の人がこんなに辛辣な話をせずに過ごしているの?と感じたんですよね。あ、この程度でいいんだ。みたいな。けして世間の人をバカにしているのではなく、うちが確実にやりすぎだったんだと思います。

 

私の家では、とかくいつも議論が繰り返されるみたいな感じで、お互い今日あったことの報告からの「私はこう思う」「その人の言うことはおかしい」「たりの言い分は間違っていない」とか、本来「単なる雑談」で終わるような話を延々とクソ真面目に語っていた気がします。

おかげで少しは語彙力も身についただろうけど、確実に子どもが幼いうちからやりすぎていたと感じます。

母は、何にでも筋道とか理由とか、そういうのが必要みたいな感じがあって「ふ~ん」とか「ま、いいんじゃない?」みたいに終わることが、あまりありませんでした(ただ、母は自分に興味がない場合は「まぁええやん」で済ませる)

どんなにしょうもないことでも、母が議論したいことには意見を求められたしそれなりの回答をしなくちゃ、といつも思って過ごしていました。

 

そんなだから、私も彼氏に「そんなに怒ってたら、疲れるで」と呆れられたり(私の家では小さなことでもクソ真面目に討論するのが当然だったのでそれをしただけですが、他人には怒っているように見えたのでしょう)

高校のときに同い年の彼氏に「お前にはついていけない」と言われたこともあります。私の考えを「こうだから、こう。だからこうしてほしい」と理詰めで話し続けたせいです。好きだから、と言っても伝わらず、逃げるように別れられましたw

なので、前に書いた彼氏の友達が亡くなったときだって

tari97.hatenablog.com

「つらかったよね」とか「無理しないでね」と、たったひとことそう言えばよかったものを、家でそういう声掛けがなかったために、対処法が全くわからなかったのです。

母は「つらい人につらかったよねって言って何になるん?」とか「友達亡くなったって、落ち込んどる場合やあらへんで」みたいなノリなんですよね。

幼い私たちにもそういう対応でした。

 

子どもって、ただ共感してほしいだけなんですよね。「楽しかったよ」って子どもが言えば「よかったね~」でいいのに、自分が興味なかったら「今忙しいから」とスルーして、興味があれば「それで?何がそんなに楽しかったの?母さんにわかるようにちゃんと説明しなさい」みたいなね、返しが0か100かなんです。

だんだん、気軽に今日あったこととか話したくなくなってある頃からは姉にだけ言うようにしていました。

 

その名残か、今でもつい誰に対してもまだ聞かれてもないのに「こう言われたら、こう返す」と、思考だけが一人歩きして聞かれてないことまで言いそうになるのは悪い癖です。「まだこの先言わなくてよし!」と、先を急がない癖をつけています。

 

母はしきりに「娘たちに、早く成長してほしかった」と言っていたあたり、母が一番「構ってちゃん」で、母のほうが「子ども」だったのでしょう。

本来、そうやって議論する相手はまず「夫」や「友達」じゃないか?とも思うのですが、父は夜になれば酒が入ってフワフワしてるから話にならないし、愚痴を言い合う友達もいない。

 

「構ってほしい!」「私の言うこと、聞いてほしい!」という気持ちを娘に思う存分ぶつけた結果、子どもは思考だけが大人になりすぎてしまって、やたらと冷めた幼少期~思春期を過ごすことになったんじゃないかなぁと、そんな気がしています。

 

今思うと毒母と私たち、精神的な面ではほんと、どっちが子どもかわかりません。