もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

両親は、立派な共依存でした。

実家を出ることで、全部を投げ出して、逃げた私を母は裏切り者かのごとく「お父さんもほったらかして出て行って」と批判していたけど

私は私なりに実家を、家族を、良くしようという気持ちはずっとあったし、やれることはやりましたが、万策尽きたという感じでした。

 

今思えば、当の本人たちが「何とかしよう」なんて思わず過ごしているので、改善しなくて当然だったなとわかりますが、家を出るまではまだ「何とかなる」と思っていました。

 

その「万策」の中に『父を連れて、アパートでも借りて2人で住もうか』というのもありました。前回の最後に書きましたが

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当時、既に年金暮らしだった父・正社員でも稼ぎの少ない娘の私。母が一家の大黒柱みたいなものだったので、天狗になるのもわかるんです。

確かにお金の管理と食事は、母には世話にはなっていましたが

逆に言えばその他のことで私と父がいたことにより母が助けられ、成り立っていたことも多くあったことも、また事実です。

けれど、金と食事が全て!と相当偏った脳ミソの母にはどうしても、何度説明しても、それが理解できないようでした。

「この家建ててここまで維持できとん、誰のおかげや思とんじゃ!」

「母さんがごはん作らんかったら、誰が準備するんじゃ!」

母にとっては「家族の頑張り」って、それが全てだったみたい(笑)

だから、私は『じゃあ母さん1人で暮らしてみれば?私と父さん出て行くからさ』と、ずっと言いたかったけど(金の管理と料理以外も、全部自分ですれば?と思って)

いかんせん、私の給料だけでそんなことできるはずもない。

まぁ母もそこまで読めてるから、あんな傍若無人なふるまいできてたんだろうとも思うけど

 

ただ『父もそれを望んでいたと思う?』と自問自答してみると

きっと、父は実家に戻っていただろうなぁと思います。

 

私は、母がいなければもう少し酒を控えさせ、与えないようにしてたと思うし、もう少し運動でもしたら?とか、父にとって耳の痛いことも言ってたと思う。

多分、それに嫌気がさして、普段はあんなに偉そうでも、何だかんだ結局甘やかして酒を与えてくれる母を選んでいただろうな、というのは容易に想像がつきます。これは「母を選ぶ」というよりかは「酒を選ぶ」という表現の方がしっくりきますが。

 

当時も、何となくそう思って、実行には移しませんでした。

 

結局は、両親は素晴らしいくらいの共依存だったのだなと思います。

昔からこの言葉は聞いたことがあったけど、まさか両親がそうだなんて疑いもしませんでした。

なぜ、そんな簡単なことも長年わからなかったのか?その原因として思うのが

 

・世間一般では「酒飲み」の人のほうが悪いことをしている印象がある

・母は真面目に生きていると世間からは評価されている

・酒飲みとは言え、父が酔っても、暴力的にはならない

 

父は、寝ても覚めても酒のことしか考えておらず、今思えば立派なアルコール依存症だったと思います。けれど、ネット等でよく見るのは、飲むと殴るわ暴れるわ。父はそういうことは絶対にしないから、どうも「まだ大丈夫」みたいな気があって、私も認めたくなかったのだと思う。

そこへもってきて、クソ真面目な母は、飲んだくれの父の悪口を私に言うことで、「酒飲む父が " 悪 "、真面目な母が " 善 "」みたいな感覚を、長年植え付けられていました。

 

けれど、今になってわかるのは『どっちもどっち』。

飲む方も飲む方だけど、与える方も与える方。

 

 

父も母も、自分のことが一番かわいくて、娘が既に嫌な思いをしているにも関わらず

父は「俺も酒ばっか飲んでたらあかんな!」と心を入れ替えることもせず

母はいつまでも「私が一番偉いんじゃ!言うこと聞かんかい!」と威張りたおしている。

喧嘩になってお互い不愉快な思いをしても、父は " まぁ適当に言わせておけば、また酒飲めるし " とやり過ごし、母は " 酒を与えることで得ている、殿様気分 " を簡単には手放せない。

お互いがまた臭い物に蓋をして、根本的な解決から逃げて暮らすから

毎度許し合って、また同じことで衝突する。その繰り返し。

 

夫婦のあり方なんて人それぞれだし「情」みたいなものもあると思う。

けれど、それに巻き込まれて子どもが嫌な思いするならどうぞ夫婦2人でやってくださいって話です。

この記事の冒頭に「何とかなる」と思っていた、と書きましたが、そもそも娘の私が「 " 何とかしよう " なんて、思わなくてよかった」のです。

 

さっきも書いたけど、飲む方も飲む方だけど、与える方も与える方。

私はずっと、文句を言いながらも足繫く酒を買いに行く母の気持ちが理解できなかったし、何度も『酒も隠して、(父が自ら)買える手段も断てば?』と言ったけど、母には「全く飲まれへんようになったら、父さんが何し出すかわからんやろ!」と言われました。

そんなになるまで、根本的な解決から逃げて生きて来たからじゃないの?(笑)

 

『おかしい』と気付かずに従っていた時までの私自身も少なからず「共依存」ではあったと思う。なので『おかしいんじゃないか』と思ったときにこの記事に書いた確認作業をやった訳です。

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母は、自分が「妻」として得する・楽しい時は「私が妻じゃい!」とふんぞり返って

介護とか手続きとか、面倒・厄介なニオイがしてくると、自分が「妻」であることはどこか遠~~くの方へほっぽり出して「アンタのお父さんやろうが!」と、娘を盾に後ろに逃げ込んでいたのですね。

 

それで、前回の記事のように母には何度も、私の「父」である前に、あなたの「夫」ですよね?ということを言った訳です。

誰も協力しないとは言わない、しかしもう少し妻である自覚を持てよ、と。

 

だから、父を連れて…とか、娘である私が下手に手を出さなくてよかったなと思います。


まぁ、それに気付かず何年も、家を良くしようと思って奔走していたことが本当に馬鹿らしいし、あの時間返せって思うけどね(笑)

私の「父」である前に、あなたの「夫」ですよね?

これまで何度も書いたとおり、母の態度に不満を抱えていた(であろう)父は、晩年酒に溺れていました。

家に帰ると、血のついたタオルで頭を押さえて玄関に座っていたので何事かと思ったら、昼間から飲んで酔って、転んで玄関の上がり框に頭をぶつけ、頭を切ったという何とも情けないエピソードまで。

この頃は、母は夫の介護の心配と跡取りのことで頭がいっぱい・マトモに話が通じないし、父は上に書いた通りでまたそれで両親が喧嘩するし、生きてて一番辛かった時期です。

冗談抜きで、両親を殺して自分も死のうかと考えたことも。

そういう最低な期間が数年続いていて、そんな時に一度、父が失踪しました。

前の記事に書いた「プチ家出」がこのことです。

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ある日、車で出掛けたきり、何の連絡もなく父は一晩戻ってきませんでした。

父は、外で飲み歩くこともないし、友達も全くいないし

長年暮らしてきたけど連絡もなしに父が帰って来なかったことなんて一度もなかったので、私は正直「死」を覚悟していました。

 

一晩くらいなら、何とか過ごせるだろうと、私も気楽に考えていましたが、二日目の夕方になっても帰ってこないところを見ると、いよいよやばいかもと思って、私は当時仲良くしていた男友達に頼み、心当たりのある場所を運転して回ってもらいました(自分が運転しながら、探すという器用なことができないので)

 

実は、父の居た場所の目星を付けたのも、最後に探し当てたのも私でした。大体、車で父が滞在してそうな場所は1つ2つしかなかったので。

 

思い出すと、その時の母も「あなたの夫の話ですよね?」みたいな態度だったなぁ。

で、多分私がいないと探し当てられてなかったと思う。

普段から、私は父がどういう場所が好きで、時々行ったりしているか聞いて覚えていたけど、〇〇町の、海沿いの所ちゃう?と言ったって、母は「〇〇町?海沿い?そんなとこ行くか?」みたいな調子。

多分、私が同じようなことになったって同じ感じなんだろうな(笑)一番かわいいのは自分ですからね。

 

父は、海沿いの防波堤のそばに車を止めて酒を飲んでぼ~っと過ごしていたみたいで、意識もあったし、怪我もなく、見つけた時も「え?みんなどないしたん?」みたいな感じでした(どないしたん?じゃねーよ)

こんな感じで父の最後の反抗(だったのか?)は、一応事なきを得た訳ですけど

 

ああいう時に人間の本性は出るもので

帰宅して、とりあえずお手洗いに行った父が戻ってくるのを皆でリビングで待っていると母が「ちょっと!たり!お父さん倒れてないかトイレ見て来て!」と私に偉そうに命令(見て来てくれへん?じゃなく、娘が見にも行かずに何ボーっとしとんじゃ!はよ見てこんかい!的ニュアンス)

…はぁ?

父の身勝手な行動にも腹が立つわ、男友達にも家族の醜態を晒して恥ずかしいわ、たいがい娘も嫌な思いしてんのに、これです。

 

この時の母のこの偉そうなもの言いは、最後に家を出る時まではらわた煮えくり返るくらい腹が立っていたし、どうしても我慢しきれず母にも何回か指摘しました。

『自分の旦那やろ?』

『私にとって父さんである前に、母さんの旦那やろ?』

『何でその世話をまず自分すっ飛ばして娘に先に丸投げすんの?おかしいと思わんの?』

『母さんが面倒見れん状況で、そこで娘に頼むんはわかるで。自分が選んで結婚してんから、まず自分で何とかすんのが筋とちゃうの?』

と。

(ちなみに、話の通じない時に言ったって「おかしい?何が?」って感じでしたが(まぁ子どもを便利使いできるお手伝いさん程度にしか思ってないですからね)、父が亡くなってからやっと「確かになぁ」と思ったらしいですw遅ww)

 

今になって考えたら⇩の記事の父が亡くなったとき同様、母は自分が矢面に立つのが怖くて怖くて仕方なかったので、偉そうに言うことで自分を守っていたのだなとわかるけど、当時は『このおばさん、マジで頭おかしいんちゃうか』しか思わなかったのでね(笑)

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あとは、父がいなくなった当日に警察に連絡していたので、その日の夜遅くに警察がまだ戻ってないか?と訪ねて来たのですね。

母は「もう、高齢なのでね…この寒空の下で、一人で居るんちゃうんかと思うと…」と芝居のセリフみたいに言ってから

警察が帰って私と二人きりになると「父さんがな、変な死に方したら私が疑われるやろ!」とまた本音を漏らしていました(笑)思っても娘の前で言うなよ。

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⇧は私に対してですが、結局自分の夫にも同じこと思ってたみたい(笑)本当に、母の自分可愛がりは、徹底してますよね。

 

母は「酒に溺れる父さんは、一家のガンだ!」と言ってたけど、いやいや、ガンはあなたですよ(笑)ってのは最後の方私はうすうす感じていたので

『父を連れて、この家から、あの母から逃げようか』と、考えたこともあります。

そのことについてはまた書きます。

「あんなにしてやったのに」を懲りずにまたやっている母

母は、その傲慢さに娘2人に呆れられ、最終的に距離を置かれています(多分、友達がいないのも同じ図式で人が寄り付かなかったのか、自分から切っていたのでしょう。私もあまり母のこと言えないけど)

 

同居(できれば婿を貰って)が目標だった私には逃げるように家を出られて、姉も私が実家を出た辺りからあまり実家に寄り付かない感じになりました。

 

母は知らないだろうけど、父も生前母への不満を私に漏らしていたので(態度が傲慢。もの言いがきつい等)母の独裁体制にほとほと嫌気がさしていたのでしょう。

けれど、死期も近づく中で今さら私のように逃げることはできないし、どうしようもないから酒に溺れたり、プチ家出みたいなことを繰り返して反抗していたのだと思っています。

 

母は、人に頼むことと自分のしてあげることのバランスがおかしいし、指摘しても「そんなはずない」と絶対に聞き入れません(毒親の鑑ですねw)

家族には結構な無理難題を簡単に頼んでおいて、ニーズに合わない押し付けで返して「お母さんのおかげで助かったでしょ」と本気で思っていたので、最終的に相手が断りを入れたり、音を上げて逃げ出すと「あんなにしてやったのに」とか「甘やかしすぎたわ」とか言うんですよね。

その言葉、そのままお返ししますよって感じなんですけどね。

 

そこが本当に多分ちょっと病気と言うか、ある種の障害なんだろうなと思うのですが

今また母は自分の実姉にも同じことをして、1人でキレています。

 

母の実姉「T子」。私からすると伯母にあたります。

T子は、徹底的に弱者を演じて1人では何もできないアピールをして、どうやって人に依存してやろうかと考えているタイプ。

え~んと泣き真似をするけど涙なんか出ていなくて、横目で様子を伺い、どうしたの?と人が寄って来たら反対向いて舌を出して笑ってる みたいな表現がぴったりな人です。

依存する予定だった夫と子どもに先立たれ、そのシワ寄せが妹である母に来ている訳です。

確かに家族を早くに亡くしたことは気の毒だし、金の無心をしないことだけが唯一の救いでしたが、それ以外は本当に顔を合わせるのも嫌なくらいのしょうもない人です。

私は伯母に何かしてもらったことも本当にないし、できる範囲のことは頼まれればしようとは思うけど(人としてね)無理してまで面倒見る義理はないかなと思っています。
私はだいぶ前からあの伯母はどうしようもないと気付いていたけど、そんな人に母はよく世話してやるよなぁと感じていました。

まぁ、母にとっては血の繋がった姉なのでどうしてもまだ期待があるんでしょうね。

 

ところが、母自身が最近体調を崩し、その世話を前ほどできないとなった時に、また母が怒り出したんです。

T子は、自分のことしか考えていないし、ちょっと周りが見えないというかそういう軽い障害っぽい面もあるので、そんな状況でも実の妹の体調を気遣うでもなく、自分の要望ばかりなんです(まぁ、前からそういう人だと私はわかっていたけど)

すると、こんな体になっても、色々気かけてやってるのに!とか、私たち娘にも「お母さんに代わってT子をもうちょい気にかけてやれ」とか、また「あんなにしてやったのに」節が炸裂中なんです。

私は何回も『T子さんは、そういう人間やから適度にほっとけばいいと思うよ(でないと、手を貸せば依存できるとこまで徹底的に入り込んでくるぞ)』と言ったんですけどね。

今まさに「いわんこっちゃない」状態で、そのシワ寄せが今度私たちに来てるって言うね。ほんと迷惑。

 

多分、母って死ぬまで同じことやるんだろうなぁ。

勝手に相手に期待して、これくらいのことをすればこれくらい思ってもらえて当然!みたいな勘違い

で、自分の思ってたのと違ったら怒って噛み付いて。

本当、ご苦労なことです。