もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

たりさんの店員ハント

 

20代前半の頃、休みになると1人で出かけ、メンズファッションのお店を渡り歩くということをよくしていました。

ランチをして、ちょっと自分の欲しい物を買って帰るというのがお決まりの流れでした。

その頃は平日が休みだったから、母も家にいなかったし

休日もほぼ家にこもっている今考えると『何であんなにわざわざ出歩いてたんだ?』と不思議なくらいなのですが。

 

なぜメンズファッションなのかというと

当時好きだったタレントに誕生日やバレンタインなどイベントになれば洋服をプレゼントしていたからです(今思うと、本当に届いてるのかもわからないけど 笑)

イベントが近づくと、そうやって下見に行き物色をしていたのでした。

  

それで今回そのことを考えて、私はその頃、他に何をしていたかな?と思い出すと

ずっと『セカンドハウスを借りられないか』と考えていた頃でした。

メインは実家でいい、ただ、狭くても汚くてもなんでもいい

とにかく「母と顔を合わせずに済む空間」がほしい、と。

 

しかし、経済的にもギリギリでオンボロアパートをネットで見ても「セカンド」というには捻出し難い金額で、私は頭を抱えていました。

安いホテルに泊まることも考えましたが、頻繁になると金銭的に現実的ではありません。

 

で、メンズファッションのお店巡りをしていた理由をもうひとつ思い出しました。

 

実家以外の居場所として「一人暮らしの友達の家に行く」のも選択肢としてありそうですが、周りは皆実家暮らし。

そこで私は結構本気で『一人暮らしの友達を作ろう』と考えたわけです。

 

そうやってメンズファッションのお店によく行ってたのも「店員と仲良くなりたかったから」で、なぜ仲良くなりたいかと言うと「一人暮らししてそうだから」という個人的な見解です。

(そこは、家から一番近い繁華街で、私の住む地元よりもかなり都会です)

 

 

いわば、私は「ていの良い逆ナン」をしに行っていた、と言ったところ。

 

街で知らない人に声をかけるなんて絶対無理だし、ナンパされるタイプでもない。

出会い系サイトは怖い。

 

そこで、苦肉の策で編み出したのが『店員に近付いて、一人暮らしならラッキー!』という、何とも短絡的な「店員ハント」でした。

 

幸い、平日に行くので店員も暇そうにしているんです。

 

むこうは営業トークを仕掛けてくるので『この人いいな』という人に目星を付け、知り合いへのプレゼントを見に来たということにして『今日は買う気ない』『あげるのは〇月』『だからまた来る』と言って、次にいる出勤日を聞き、通って仲良くなったり

地元どこなん?って話に持って行き『近いやん!』となって、その場でアドレス交換したこともあります。

 

今思ったら『短絡的すぎや』と自分でも笑えるのですが、当時は大真面目でした。

その時、私の心は『誰か早く私を救ってくれないかな』と叫んでいたので…

 

もし気が合って結婚とかにまでなれば家から逃げられるし、ある意味私の「婚活」でもあったわけです。

(ちなみにこの頃は「 "結婚" で出るなら、家を出るのを認める」という母の言いつけをまだ忠実に守ろうとしていた)

 

けれど、やはりうまく行くはずもなく店員ハントでつかまえて続いた人は誰一人いません。

そりゃ、初めから依存する気満々だし、動機が不純すぎるし当然ですよね。

それにその、ターゲットを探す理由も「新しい保護者が欲しかった」母とそっくりです。今思うとぞっとしますが。

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母は、精神的に娘をサポートするどころか追い詰めていましたが、その自覚がなかったので

まさか娘が休みの度にこんなことをする為に出掛けているなんて、微塵も思ってなかったと思います。

 

男性とお付き合いしたい理由が「相手が一人暮らししてたら、そこに逃げられるから」なんて、本当にあほみたいだけど、そんなことを大真面目に考えるほど、その頃は誰かの助けが欲しかったし、家から離れたかったのです。

 

当時の自分を可笑しくも思うし、気の毒にも思うけれど

とにかく私は「自分の足で歩くこと」を全く考えていなかった。それが、成功に結び付かなかった一番の原因かなとも思います(何が成功なのかもよくわからないけど)

 

この「他力本願」なところは、毒母そっくりだったなと、今になって思います。

母に依存されて、あれだけ嫌な思いをしたけど

当時は全く同じことを知らない誰かに思いっきりやろうとしてたよな…と、今回気が付き、恐ろしくなりました。

毒親の場の空気の読めなさ、優勝

毒親は、変なとこ頭の中がお花畑だったり、世間知らずだったりで

場の空気を読めず家族が恥をかかされる、というのもあるあるだと思います。

その被害はいつだって「子ども」に降りかかる気がします。

 

初出勤にデニムで行ったのは私の知識不足でもありましたが(笑)

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また『あれ、恥ずかしかったなぁ』ということを思い出しました。

 

昔、私も母も海外旅行をしたいのだけど、海外旅行の経験がないので『よく知ってる人についてきてほしいな』と話してたところ、母の知り合いの男性が「韓国くらいなら出張ついでに案内できるよ」と言ってくれたことがありました。

それで、一緒に行って、時々一緒に行動してもらう、という旅程を組んだことがあります。

 

飛行機もその方と同じ便にしてもらい、旅行自体は事なきを得たのですが

空港へ戻って来ると、預けていた私たちのキャリーケースの取手がひとつ外れて無くなった状態で戻って来ました。

 

預ける時点で、ある程度乱暴に扱われても仕方ないことは暗黙の了解だし、実際そこそこ乱暴に扱われていることももう周知の事実ですが

母は変なところがピュア(笑)な分「客の荷物を(私たちが思うより)適当に扱う」みたいなことが横行していることが、どうもわかってない雰囲気があります(別に、航空会社だって「わざと壊してやろう」って気はないのもわかりますが、あれだけの膨大な荷物がある中で破損や紛失に遭うのは、想定内では?という意味です)


空港に着いてから、母はさっそく空港のスタッフにゴネ始めたのですが

毒親っていつも頭の中がいっぱいいっぱいで本当に「イレギュラー」に弱いので

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説明も聞く余裕がないんですね。話をぶった切って、すぐに文句を言うんです。

 

別に空港の人も「修理しません!」「知りません!」とか言ってる訳じゃないんです。順を追って、確認しないといけないことを専用のリストの項目に沿って聞いてくれているのに「何でなん」「どういう扱い方してんの?おたくら」みたいなことを、ちょっと間をあけては、すぐ言うんです。

 

『だから、今説明してくれてるねんから、黙って聞け!』という言葉を何度飲み込んだか。

 

『あ~まためんどくさいの始まったわ』と思いながら聞いてたら、同行してくれた人も「こんなんよくある話やで」と呆れ顔。

 

ああいう時、毒親って「あ、怒ってんの私だけや」「きちんと話聞いたら、そんなに大したことでもなさそう」とかいう雰囲気、全然察知できないんですね👏

 

結局、破損については補償の対象内だったし、一度家に持ち帰り、指示通りに手配をしていくと何の料金もかからず、運送会社が集荷にまで来てくれて、数か月後キレイな状態で戻って来て、私は『ここまでしてくれるのか~』と逆に感動したほどだったのですが。

(しかも、あれだけ空港で文句言ってた割に「手続き」とか「説明」とかが大嫌いな母は、その手配は「たり、やっといてな」と、全て私に丸投げ。まぁいつものことです)

 

空港で、スタッフの説明も聞かずに文句をたれていた母の姿は心底みっともなかったし『本当にこういうとこ、嫌いだわ』と再確認した案件でした。

けれど、多分母はそのキャリーケースが破損したこと自体、もう忘れていると思います😇

母を刺してしまうその前に

前に『家を出る!』と決心した時のことはこちらに書きましたが

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実際、どうやって私が家を出たかを書いていなかったので、需要があるかはわかりませんが書いておこうと思います。

 

結論から言うと

私は最初に『一人暮らしお試し期間』として、アパートを借りて、週末だけ寝泊まりするのはどうか?と母に提案しました。

それで、契約を済ませ、あとは運べるものは自分で運んで、契約の3か月後くらいには半ば無理矢理一人暮らしをスタートさせました。

もちろん『お試し』なんて嘘です。

あの母が絶対にすんなりOKを出す訳なんてないので、苦肉の策で出した案でした。

 

もちろん『お試し』でも、快く返事はしなかったですが、母の「娘が自分を心底嫌うはずがない」「娘が家を出るなんてありえない」という大きな自信と勘違いが功を奏し、渋々了承したのでした。

 

母は、なぜかいつも私の能力を低く見積もる傾向があるとは前にも書きましたが

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「どうせたりが1人でなんか暮らせる訳ない」「どうせすぐに音を上げて戻ってくるんだ」と本気で思っていたみたいです(これはのちに姉から聞いた)

 

なので、こういう勘違いをしている親には『そうだよね~私が一人暮らしなんて無理だよね~』『だからお試しで、週末だけ練習してみたいの』と、あたかも『多分私戻っちゃうだろうな~』なふりをして親を調子に乗らせるのは有効かも知れません。

 

『昨日は〇〇作ったけど、失敗したわ。料理って難しいね!』とか、クッソどうでもいいことを嘘も加えてベラベラ喋り(それでも母は不機嫌でほとんど無視されたけど)あたかも『もうすぐ帰っちゃうかも!やばい!』的な演技をしつつ、ウラでは母に見つからないようにちょこちょこ荷物を運び出しました。

 

そして3か月後くらいに『多分、平日も行けるわ。なので、本格的に向こうに住みます。必要な物はもう運んでます』と言って、引っ越しました。

電化製品もすぐに買い揃えました。

 

しかしかなり狭く、ここに長く住むのは難しいなと思い、前出のコウさんに私でも買えそうなマンションを探してもらい、購入に至ったという訳です。

 

アパートにいた頃はまだ母は「どうせすぐに音を上げて戻ってくるんだ」と思っていたようですが(まぁ荷物もまだ置いたままでしたしね)

マンションを購入するとなったあたりからやっと、事の重大さに気がついたようでした。

 

その頃も暴言を吐かれていましたが、母の居ない場所に帰れるということは何事にも代えがたく『はいはい、また何か言うてるわ。言わしときゃええわ』と聞き流せたので、逃げ場ができたことは本当に大きかったです。

 

 

おそらく「自分には無理だ」と、思う方もいるでしょう。わかります。

私も最初そうでした。

無理だ無理だと言いつつ、結局10年近く実家に居たクチですから。

 

でも、案外できるんです。

火事場の馬鹿力じゃないですけど、人間やろうと思えばできるんです。

その後のことが心配になるのもわかります。

私はたまたま当時は職に困っていなかったのと、働ける体があったので恵まれていた方ですが、家を出るにあたっては金銭的に援助も受けていません。

引っ越しなどで大金が消えて、残高が減っていくのは大変不安でしたが、何とかここまで約5年、借金もせず暮らせています(かつかつですけどね)

 

まずは、物件を探すこと、問い合わせてみること。小さなことでもいいので、やってみることが大切です。

多分あの時アパートを借りる決断をしていなかったら、冗談抜きで高確率で私は母を刺していたと思います。

そうなりそうな危険がある方は、もうなぁなぁにするのはやめて、何かひとつ動きだして頂けたらなと、切に願います。