もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

どうしても嫌だった部分だけが変わらない母

時々母とLINEをしますが、どうしても遠回しに『すぐ不機嫌になる人は嫌いやわ』とか『ま、あなたのことなんですけどねw』みたいなことを入れがちになります。

大人げないのも、母が「それって私のことだな」なんて全く気がつかないことも重々承知の上ですけど、入れずには居られません。

 

先日、LINEでこんなやり取りがありました(標準語に変換しています)

母の職場の人が、熟年離婚をするかも(寡黙な人だが、奥さんの身勝手さにそろそろ堪忍袋の緒が切れるかも?)的な話から

 

母:じっと我慢してる人はキレたらきついよ、たりみたいに(笑)

私:そうだね。それで『もしかして(あの態度も発言も)ナメられてない?』と思って縁の切れた友もいるし(笑)⇦ 遠回しに『母も含む』と言いたいw

母:それは、ナメてたわけじゃないんじゃ?(友とは喧嘩などあったかも知れないけど)ナメられないために喧嘩して反省して親交深めるんじゃない?

 

出たよ。大っ嫌いな「心と心でぶつかり合う」論!

tari97.hatenablog.com

 

私:喧嘩しないとわかりあえない人とは付き合いたくないな。⇦ 『母含む』(2回目)

そもそもそんなこと(喧嘩)しなくても(穏やかに)過ごせる人いっぱいいるし ⇦ 『あなたは違いましたけど。』と言いたい

 

母:言っとくけど母さんはたりをナメたことないよ。頼りにしてたし

・・・はぁ?

いやいや。「頼りにしてる」なんて、語弊ありすぎ。

私を信じてないから、思いどおりにしたいから、異常に干渉してきてたくせに。

あれが「頼りにしてる」? 理解に苦しむ。

 

私:まぁナメてるというか…頼りにされてるとは思ったことないな(笑)

母:だから家のリフォームもしたし、〇〇への入社(コネ入社)もさせたよ

あくまでも物質的なことで、その性格と偉そうな表現方法を省みようとは思わなかったのね。

 

私:いつまでも母さんが「上」私が「下」みたいな関係なんだろーと思ってたから

母:しっかりしないといけないギリギリ(の時期)まではうるさく言うけど、立場逆転したら家来になろうと思ってたよ

 

ここがめっちゃ引っかかる😑

 

「立場逆転したら」「家来になろう」やっぱり、上下やん。

親が上。娘が下。って思ってたんだな。

 

母:定年になって、仕事も辞めて、家事をして、たりを家で待つ生活、夢みてたよ(あたかもものわかりのいい母親になってる設定)

「立場逆転して」「(母が)家来になった」後のお話なんでしょうね。

本当にそんな気、あったのでしょうか。信ぴょう性なさすぎ。

 

母って「老いては子に従え、やで!」とか、昔からよく言うんですよ。

母の「老いては」って一体いつからなんでしょう?

少なくとも私が家を出た頃はまだまだ現役バリバリの様子でしたが。

 

家を出る前に散々『そういうところ、省みないと本当に母さんのこと嫌いになりそう』と、私は忠告しました。

いつまでも「私が一番偉いんじゃ!」「言うこと聞かんかい!」なところね(「老いては子に従え」じゃないの?と)

 

このLINEを見ていると、母は「定年を迎えて、退職したらぱったりそういうの(上下っていう考え方)やめます!」って気だったのでしょう。まあ思うのはタダですから。

「昨日まではやらなかったけど、今日から心機一転 " 老いては子に従え " やります!」って?そういうのは、徐々にやっていくものじゃないの??

それまで忠告を全く聞かなかったのだから「そんな訳ねーだろw」と取られても仕方ないですよね。

 

とまぁこんな感じで、母も時々「たりには勉強させてもらった」とか、前向きな発言をするのですが、どうしてもいつまでも引っかかっている部分がずーっと変わらないのでやっぱり母への気持ちは冷めていく一方なのです。

譲り合う精神。元々ないのか、どこかで忘れたのか

災害が起きた時など、日本人の譲り合いの精神は海外からも称賛されるとは時々聞く話ですが

どうも、首を傾げることがあります。

 

私の利用するバス停ではお年寄りも多いのですが、ほぼ毎日と言ってもいいほど、お年寄りが平気で順番を抜かす光景を目にします。

バスが近付いて来ると先に並んでた人よりすーっと前に行って「ごめんね」とかも何も言わず、当たり前みたいな顔をして先に乗ります。

毎朝、同じ人がやるならわかるのですが、毎回同年代の違う人が高確率でやるのに驚きます。

何でも年代で一括りにするのは良くないですが、どう見ても「若い」と表現するような年齢の方ではなく「おじいちゃん・おばあちゃん」なのです。

『まさか、また勝手に先頭に行くのか?』と、ハラハラしながら見てたら『うわ~やっぱり抜かすんや』と、いう脳内ツッコミがほぼ毎日繰り広げられます。

 

レジや電車に並んでいても、あわよくば抜かしてやろうみたいにジリジリ詰め寄ってくる人も多いし

一体何なんだろう?とほんとに不思議で、思わずネットで調べてしまいました。

 

すると同じように思ってる人はやはり多く

単純に「思考能力の低下」とか「周りの状況を見ても判断できない」等、脳の衰えでしょ的な意見とともに

豊かな老後を暮らせると思ったらそうでもなくてギスギスしてるんでしょ

頑張ってきた俺たち私たちがいい思いして何が悪いねん的な意識もあるんでしょ

って言う予想もたくさんあって驚きました。

この仮定が合ってたとして

一番最後の意見がすごく母っぽくて、びっくりでした。

 

母も「私は、苦労してきたから」と、それを「娘に偉そうな態度を取っても許される理由」にして過ごしていたので

それをいかなる時も、ある種武器として振りかざしていました。

だから、少なからず横入りする人の中にはそういう気でやっている人もいるのかもしれません。

tari97.hatenablog.com

 

だけど、その2つを結びつけて「だから、これくらいして良い」という理由には、ならないと思うのです。

 

苦労してきた、大変な時代に生まれ育った

そこまでの主張は、わかります。

けれど「だから自分たちを優先しろ」は違う気がするのですが。

 

足が悪いので、腰が痛いので

それならわかるけど、それでも「無言で」「当たり前みたいな顔で」 " 順番を抜かしていい理由 " になるか?と問われればすごく疑問です。

 

前にも言いましたがどの世代にもその世代なりの苦労やしんどさがあります。

tari97.hatenablog.com

 

体力的な面だけで言えばそりゃ衰えはあると思いますが、そういう人に限ってシャキシャキ歩いてバスにお乗りです。席が空いてなければ到着までの数分、立ってもいられるようです。

脳が衰えている…でも、バスが何時頃に来て、どれに乗ったら着くかはわかるくらいではあるのですね?横入りする時だけ、脳が衰えるのかな。…って私、理屈っぽいですか?笑

 

平気で順番を抜かすとかは、どういう神経をしているのか、もはや理解すらできないですが

「何で遠慮せなアカンねん」

そんな気でもしやっていたとしたら、母と同類だなぁって思ってしまって仕方ないです。


そんな簡単なことも理解できないくらい、この時代の人に譲り合えない精神が植え付けられているとしたら、大変気の毒な話です。

 

ちなみに無言で抜かすタイプの他に、運転手や駅員に暴言を吐く人も多いです。

あれもみっともないですが、こっちは前出の「豊かな老後を暮らせると思ったらそうでもなくてギスギスしてる」派の方たちと思うようにしています。

バスの定期(無料で乗れるやつ)を自分がしっかり見せないから、運転手が「もう一度見せて」みたいなジャスチャーをしただけで怒鳴り散らしている人…

(私からしたら、無料やねんから、機嫌良く乗りーや!ですけど(笑))

 

そういう人とは絡みたくはないですが、身をもって「悪いお手本」を演じてくれているので、良かったと思うことにします。

 

そう言えば、前回書いた昔の職場の大嫌いだった「常務」もよく、コピー機の順番を待てずに今からまさにコピーを取ろうとする私を肩で押しのけてコピーを取っていました。

tari97.hatenablog.com

「ちょっと先にいい?」の一言もなくむしろ「邪魔!どけ!」と言わんばかりの勢いでねw

人を押しのけてまで達成するその一瞬、一瞬。それで幸せなら、いいですけど

『ああはなりたくないな』の代表です。

数年後に気が付く「あいつも毒人間だったわ」案件

昔、パワハラまがいの発言に耐えられなくなり辞めた職場で「常務」と呼ばれているおばさんがいました。

そのおばさんも、母と同世代くらいでした。

 

丸4年働きましたが、とにかく離職率が高い職場で、数え切れないほどの人が入れ替わったため、ほとんど覚えてません。

私も含め、大体がその常務のせいで辞めていて(営業・事務員、はたまたチラシ配りのパートさんまで ⇦ チラシの受け渡し時しか顔を合わせないのに、その一瞬で暴言を吐いてパートさんはその場で辞めたそうw)

 

…今思うとあの人も、ちょっとおかしかった(ネジ1本足りない系だった)のかな?とか、最近考えていました。

 

母といい勝負なくらいの偉そうなきっついおばさんでしたが、当時は、母くらいの年齢のおばさんってみんなあれくらい偉そうなのがデフォルトだと思っていました。

それまで、同世代くらいの人としか肩を並べて仕事をしたことがなかったので。

だから4年も働けたのでしょう(笑)


思い出せば、小出しで結構なことを言われてましたが(入社日にも、先輩から「常務はきついけど、あれが普通だから。あまり気にしないでね」と声をかけられるレベル)

当時は「きついおばさん」の基準が母だったから、さほど気になりませんでした(慣れって怖いです、ほんとに…)

 

ただ、いつも気になっていたのが、その常務が何となく敵対心?って言うか

勝手に決めつけて訳の分からないとこで張り合ったりこき下ろしてくるのです。

 

それが「私」に対してならわかるんですが

私の母に張り合ってきたり、私の家?に対してだったりで

 

例えば、私の家は山を切り拓いて作った住宅地とは前にも書きましたが、そこを貶すみたいなことも言われたし(常務の家も別に万人が羨むような場所や家でもなかったけど)

いつも「〇〇(私の住む町名)なんて人気ないもんな!」みたいな言われ方をして嫌な気分になっていました。

 

一番意味わからなかったのが、私が『母親も働いてる』みたいなことを話の流れで言った時に「どうせパートやろ?」って言われて

私は何も思わず『いや、正社員ですよ』とは言ったけど

後から『何でそんなこと言うんだろ?』『てか、どうせとか、何様?だし、パートを下に見るみたいな言い方も失礼だなぁ』と、じわじわ腹が立ったのを覚えています。

 

私は腹が立つ前に、何でそんなこと言うんだろ?って冷静に考えてしまうタイプなので、そういうことが度重なり

『この常務って多分ちょっと頭おかしいんだな』『私とはなんか色々次元が違うんだろうな』ということで処理していました。

 

その頃はまだ、家に帰ったら母に何か話さないと!と思っていたので、常務に言われたことも逐一報告していましたが、その度に母は「ふ~んおかしなこと言う人やな(笑)」では済まず「おう?やったろか?」みたいな臨戦態勢で聞いてたような気がします。

 

で、その「どうせパートやろ?」の件も、私が『正社員ですよ』って返したのも、全然『ざまぁ』とかいう気もなくて、素直に事実を述べただけでしたが

母に話すと「正社員って、言うてやったか?!」「常務、どんな顔しとった?!」と、してやったりの様子で(パートなわけあるか!あほか的に)

まぁ、正社員アピールをしたことを母が喜んでくれたならとホッとした私でしたが

 

今思うとしょーもないことを「貶す常務」に「してやったりの母」。

どちらも同程度の頭だったのだろうな(笑)

 

人より上に立ちたい。偉いと思われたい。

その気持ちばかりが先行して、けれど皆に好かれたり慕われる要素もない(むしろ、嫌われ者)

だから、蹴落とす相手やこき下ろすネタを探しては、そうやって優位に立てた気分に浸っていたのだろうな。

気の毒な人たちです。