もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

引き出しが少ないから世界が広がらない

母の残念だなと思う部分は数えきれませんが、何でも「自分視点でしか物事を考えられない」ということもそのうちのひとつです。

もう何度も書いてきましたが。

 

人間、それぞれ好きなもの・苦手なものがあるので当然、他人が好きなものでも、理解できないことも出てきます。

例えば私は運動が大嫌いなので、お金を払ってまで〇〇マラソンとかに参加する人の気持ちには共感できません。登山とかも多分一生やらないと思います。

けれども、それぞれにやる喜びがあって、楽しめる人はやればいいし、私のような人間に少しでもわかりやすく聞かせてくれるならば、話を聞いてみたいとは思う。

 

毒親はそういう姿勢が持てないのか、持とうとしていないだけなのか

「自分が良いと思わない」となれば、即座に否定的にしか見られなくなるところがあります。

毒親に限らずこういう人は一定数いて、共感できないと「世間一般からしても、おかしい」みたいに勝手にジャッジする人もいます)

 

「理解ができない」は仕方のないことですが

「理解できないならできないなりに、聞いてみよう」という姿勢もないから

例えばおいしいものを食べたとか、どこかに行ってきたとか話しても

守銭奴の母は二言目には「いくらかかったん?」

万事がこれなのでつまらないことこの上ないのです。

母の頭の中には「金」と「食べ物」の引き出しくらいしかないから、何の話を聞いてもその引き出ししか開けられず、とくに値段の話になるのだと思います。

 

せいぜい、食には興味があるので食べ物の話なら調理法とか味付けの話くらいにはなりますが

とにかく興味のない話を、わからないなりにも聞いて理解を深めようという姿勢がない

tari97.hatenablog.com

その上、👆の記事のようにいちいち貶したりしてくる時もあるから、不快なのです。

大人になってから、母と話すのが楽しくなくなった理由がやっとわかった気がします。

 

例えば、登山が好きな人に対して

「(リア友とは別に)登山友達もいるの?」「ウェアもかわいいの揃えるの?」「今度はあの山にしよう!とかはどうやって決めるの?」「テレビとか見てて、あ!ここ登りたい!って思ったりするの?」

上級者にしたらあほみたいな質問かも知れないけど、私は魅力がわからないからこそ話を聞きたいなと思うし

 

私自身もオタクをやっているので、聞かれる側になると

「何でツアー中に同じのを何回も見に行くの?」「きれいにして行ったって、自分のことなんか見てないやん」「将来彼が養ってはくれないよ」

など、何回言われたことか。

そこで母みたいな人はさらに「お金がもったいない」とか「時間の無駄だ」とか勝手に自分のものさしで決めつけるんですよね。

「理解ができない」と「お前はおかしい」をすぐイコールで繋げないでほしい(笑)

 

最近は『この人は母と同じで、この歳まで生きてきた割に、引き出しが1段か2段くらいしかない人なんだな』と思うようにしています。

 

そういう人は、自分自身で周りの世界をどんどん狭めているような気がしてなりません。別に本人がそれでいいならいいですけどね。話してていい気はしませんよね。

 

しかも、母の場合「人ありき」でしか生きられないのに、人に寄り付かれなくなる原因を自ら作っているのが滑稽だなぁ、と。

 

昨日も、スーパーでキンパ(韓国式のり巻き。私はこれが大好き)が半額になったのでウキウキで買って帰りましたが思ったほどおいしくなく、母が昔実家で見よう見まねで作ったやつのほうがおいしかったのです。

それを母にLINEしようかと思ったけど、どうせ入れても二言目には「いくらしたん?」なんだろうな…と思うと、ま、いっか。となって

結局、こういうことなんだろうなと思いました。

 

母は娘に見捨てないでほしいみたいなことを時々冗談めかして言いますが

こういうことの積み重ねで、限りなく気持ちは遠のき、縁が薄れるんだよな。と思った次第です。

 

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母へ返ってきた特大ブーメラン

母の昔からの口癖で

「(今の恵まれた環境を)ありがたいと思わないとあかんで」

と、

「楽な方に逃げるな」

というのもあって、よく言われた記憶があります。

どっちもほんとに根性論大好きな母の言いそうなことですけど、これも今になって『いや、あなたはできてましたか?』ってすごく思います。

 

と言うのも

母は30年近く勤めてきた職場をやむなく退職することになりましたが、辞めてからは「クビにしやがって!」とか「たりが辞めた理由わかるわ!あほばっかりやもん」(以前、母のコネで入社し、私も同じ職場で働いていました)と、会社を貶すような言葉ばかり吐いています。

tari97.hatenablog.com

 

母は、パソコンへの苦手意識が異常で、コンピューターのやることなんて、たかがしれてる!結局人間の手でやるのが一番!とか言うタイプ。

元々経理の仕事をしていたので「母さんの時代は、電卓叩いて、伝票も手で繰ってやってたんや!それが今では何でもパソコン、パソコン(呆れ顔)」

 

数年前、若い社員が数字が合わない原因をパソコンの画面とにらめっこしても見つけられず、母が何度も伝票を繰って間違いをたまたま見つけたことがあったみたいで、そのことを数日「それ見たことか!」みたいに、ドヤっていました。

確かに言いたいことはわかるし『そういうこともあるんだね』という感じで私は聞いていましたが

母の場合

「だから、日々のパソコンで処理するスキルなんて、必要ないんや」とでも言わんばかりに、全くパソコンの勉強もしないまま、何とかかんとか定年まで逃げ切り、定年後嘱託になってからはパソコンはあまり触れなくていいような部署に変えてもらって、図々しく在籍していただけでした。

給料もボーナスもふんだくって辞めれたんだから、もう十分やろと思うんですけど。

 

からしたら『そんなスキルで定年まで勤めさせてくれたこと、定年後も嘱託として雇い続けてくれたこと、もう少しありがたいと思わないとあかんで』なんですけど。

 

 

それに、よくよく考えたらあそこまで金の為なら根性!根性!だったのなら、なぜ大好きな「根性」で、パソコンの勉強をしなかったの?と思う。

しかも、私のような文明の利器大好きな娘がせっかくそばにいるのに、ですよ。

私は、実家に居た時から常にパソコンも家で使っていたので、何度も『パソコンの勉強してみる?』とも、声を掛けました。

最初は「やるやる」言いながら、結局いざ時間ができても「忙しい」だの「今はいい」だの何とか理由をつけては逃げてきた母。

何も『明日からパソコン教室行け!』とか『パソコンの講師を連れてきて勉強させる!』とか無理難題言ってる訳でもないし

一番身近な娘に、優しく指導される程度も嫌って…

それは「楽な方に逃げる」では、ないの??

 

そこまで楽な方(だと、私は思う)に逃げておいて、いざパソコンの使えないやつはだめという扱いを職場でされたら「バカにするな!」って…(これは、全パソコン苦手人に宛ててる訳でなく、あくまでも「母の配属されている所で、パソコンスキルが全くないことはそれくらい問題である」という意味です。あしからず)

 

パソコンの勉強に関しては、ほんとに私あそこまで母が根性ないと思わなかったんです。

一念発起!!までとは言わないにしても、もうちょっと「やってみようかな」と、気持ちの切り替えして、頑張れる人だと思っていました。

だってそこには母の大大大好きな「お金」が絡んでいるのですから。

 

結局、死ぬほど大好きなお金が絡んだって「絶っっっっ対に嫌!やりたくない!」と決め込むと、絶対にやらない。

そのくせ、そこを指摘されると何だかんだ理由をつけては、できない自分を正当化するんですよね。

何が「楽な方に逃げるな」だよと思う。

 

さんざん、楽な方に逃げてきた結果がそれなんだから、自分の職場での価値はその程度だったのだって潔く認めたら?と思う。

 

母って、自分が昔からクソが付くほど偉そうに言ってたこと、今思ったらめっちゃブーメランなんですよね。

また何か思い出したら書きます。

 

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「なにくそ精神」いつまで続けるのか

昔から母は、とにかく「なにくそ精神」で生きていました。

 

母の「なにくそ精神」は、貧しかった幼少期の生活が関係しているのだろうとは思います。

だから、負けたくない!もうあんな暮らしは嫌だ!と、頑張ってきたのでしょう。別にその生き方をとやかく言う気はありませんが「もういいんじゃないかな」と思うんですよね。前回も書きましたけど

tari97.hatenablog.com

老後困らないように!という未来を描いて、今、物質的に困窮することなく暮らせているのだから「なにくそ精神」の結果が出たのがまさに今、だと思うんですけど。

母は結果が出てもいつまでも「なにくそ精神」で、生きているみたいな感じです(もう平成も終わりそうですけど、頭の中は戦後・昭和のまんまなんでしょう)

 

まぁ、いつまでも考えを変えられないのは、元々頭が柔軟でないし

母って、自分の考えられる範疇以外のことについては本当に「自分」がなく(というか、多分考える頭が足りないのだと思う)

家族に言われてやっと「そうか」って思うタイプなので(だから、娘がキレて出て行くまで自分の言動のまずさに気がつかない)

その時、その時に「今の一番心配なこと」が、次の心配事が出て来るまで、ずっと頭をもたげている、みたいな生き方しかできないんですね。

色んなことを少しずつ、いい意味で適当に、並行してやる(考える)ということができない。

 

なので、そんな感じでこの数年を一人で過ごし、母の新たな心配は「認知症になったらどうしよう」だったようです。

恐怖心だけは人より何倍もあるのと、唯一の趣味が「テレビを見ること」なので、そういう実録のドキュメンタリーでも見て「やばい」とでも思ったのでしょう。

そこまではまぁいいとして

 

例えば「認知症になって、家族に迷惑をかけることのないように」という目標があるとして、防ぐには?と考えた時、色々と方法はありますよね。

 

料理・文字の読み書き・用事がなくてもブラッと出かけてみる・習い事…

「頭を働かせる」ことが目的ならば、いくらでもあります。

地元のバスや電車に乗るだけでも、ビビりの母には大冒険ですし。

tari97.hatenablog.com

 

しかし、何でもかんでも「人ありき」で生きてきた母にとって、自発的にそういったことをやろう!という、知恵がとにかくありません。

 

そこで、この間母と姉とのLINEで

「ボケないようにということだけ、考えて生きてる」みたいなことを言う母の「ボケない工夫」が

「ぼーっとして過ごさない」

これだけ聞いたら、確かにそうだなってなりそうなんですけど

母の場合ちょっとニュアンスが違うんですよね。

 

その「ぼーっとしない」は、さっき書いたような「何かをして頭を働かせる」じゃなくて、結局今まで続けてきたような

何でも理詰めできちきちに考える。その思想を絶やさない!⇦ それを、最大級の「しっかりする」だと思ってるらしいです。

もっと簡単に言えば「なにくそ精神」が「ボケ防止に繋がる」という風なニュアンス。

もう何かね…母ってもしかして、あんまり頭よろしくなかったのかな。と、また読みながら真顔ですよ。

そういうことじゃないと思うし、それで散々失敗してきたやろ…って思うんですけどね。

 

結局、いつまでも「なにくそ精神」で、万事カバーできると思っているようです。

「楽しめること」で、脳を働かせよう!という知恵がまるでありません。

 

 

ちなみに、頭の固い団塊世代を揶揄する言葉で「脳みそ筋肉」という言葉がありますけど、最近母も立派な脳みそ筋肉だなって思います。

 

「なにくそ精神」の昭和、いや戦後?で時が止まってる、脳みそ筋肉。 

我が親ながら、本当に情けない。

 

 

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