もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

元々副業だった仕事を辞めることにしました

私の、直したいのだけどなかなか直すことのできない部分で、少し考えればわかりそうなことを予測できない人、そのせいで何かをやらかす人。それらにいちいち苛立ってしまう・軽く許すことができない というのがあります。

 

この性分は治したいのだけど、昔から家では寸分の間違いも許されないみたいな環境でしたから、平気でそういうことをする人に単純に腹が立ってしまうし、すぐに何に対しても怒る母を見て「怒ることはみっともない」という考えがあるため、怒りを表現することに抵抗があって、小分けにして怒りを発散できないから、いつもいっぱいいっぱいまで我慢して怒りを溜めて最後に爆発してしまうのです。

 

謝罪をされたとしても、そこまでいくと絶対に相手を許せないのは『こっちはこんなに我慢したんだ』という気があることも自覚があるので、怒りを小分けに表現する術を身に付けたいのですが…。

 

絶対に許せない!となるところは、母の血を引いている気もするのですが、キレるまでの猶予はだいぶあるので、母みたいに何でもかんでもすぐにキレる訳ではないのですが(でも、最終キレたら一緒か)

 

怒りの沸点が高いからなかなかカーッとはならないものの、最終的にキレたらもう挽回の余地なし。はい終了。みたいになってしまうのです。

だから今、母に対してもその状態なのです。

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まぁ母を相手にした場合は、あれでキレるのは妥当だと思うし、むしろ私はよく耐えた方だなぁとは思いますが。

この性分のせいで職場で立場を悪くしたことも、友達と縁が切れたことも、何度もあります。

 

それで、今回元々は副業として就いていた職場を辞めることとなり、実はその原因も私が爆発してしまったからなのです。

私の「爆発」は母のようにヤ〇ザみたいに怒鳴り散らす、という風ではなくて、糸がプツンと切れてしまうというか、自分でも『あ、まただ。終わったな』と冷静に思う感じで声を荒げたりはしません。

今回の件もそれがあってすぐ帰りの電車のホームで本部の人事に電話をして、今回の給与の締め日で辞めます。と冷静に伝えました。

 

私がキレた原因は、うちの支店の上司が変なとこプライド高くて、完全に人手不足でありながら他店に人員を貸してくれと言えず「まぁいけるだろ」という軽い気持ちで回そうとして、パートである立場の私にかなりの負担がかかったためです。

ただの来客程度ならば担当者不在で…とその場を何とかおさめられたのですが、高額な金銭の受け渡しが発生しそうだったので(その客が、担当者不在と言ってもなかなか引き下がらず)金庫を触る権限は私にはないし、軽くパニックになってしまったのでした。

そういったことは初めてではなく、今の上司に代わってからそういう(何でパートの私たちがこんな重要なことをやらされるの?みたいな)ことはありながらも何となく回っていたため、問題提起しなかった私たちにも原因はあったのかもしれませんが、今回の件については他の社員さんも「その時のたりさんを思い浮かべたら気の毒すぎて涙が出そう」と言われる始末で…

これも毒親育ちの悪い部分だと思うのですが、親から相当なことを言われたりやらされてきたため、職場でも結構ありえないことを言われたりやらされても『こんなもんかな』と思って、それなりに引き受けてしまうのです。

 

外部から「ありえない」と言われて初めて『やっぱりおかしいよなぁ』と気付くのですが、気付いた時には時既に遅しなのです。

この前に働いていた派遣元の営業にも「派遣先の社長さん、相当頑固ですけど、たりさんよく耐えていますね。普通なら辞めてますよ」と言われたw

 

こういうことがあるので、できるだけ『嫌だ』『やりたくない』というセンサーを研ぎ澄ませ、ブチ切れる前に小出しで嫌と言ったり辞めることを心がけてはいるのですが…

今回『また無駄に我慢してやってしまった』という感じ。

 

まぁただひとつ救いだったのは、元々が長く続けるつもりもなく、会社としてもブラック臭がすごいし、通勤も時間かかるし、特にこの業界に何の魅力も感じないし、いつ辞めようかなぁとは思っていて、その割に9ヵ月も続いたのは人間関係が良かったことと、絶対に休み希望を聞いてもらえていたからなだけで、まぁある意味、あほな上司のおかげで辞める踏ん切りがついたので良くとらえようとは思ってはいます。

 

幸い、働きつつ失業給付を受けていたのであと1ヵ月弱、給付日数が残っています。

それを貰い切るまでに次を探そかなといったところなので、また来年良い職場に恵まれたらいいなと考えているところです。

 

今年もこんなブログをお読み頂き、ありがとうございました。

 

皆様良いお年を!

マウンティングについて

最近、職場では、何となく『心地よいな』と感じる人に恵まれ、母のコネで入った会社で働いていた頃とは人が変わったように職場でも気さくに話したりすることが、そこそこできるようになりました。

何故かな?と考えてみて、確かに自分も変わったのかもしれないけれど、職場の人のノリというか価値観が私に合っているのも一理あると思います。

 

基本的に、干渉されることが苦手な私は、もちろん人にも干渉しません。

良くも悪くも他人にあまり興味がないのです。

だから、人と比べて優越感に浸ることもないし、いわゆる「マウンティング」にも興味がありません。

最近の職場は、私と似た人が多いのかも知れません。


母は、常に誰かと自分を比べて、マウンティングに必死で、娘相手にも(自分と比べて)あれが足りない・これができない(だからお母さんはイケてる)というようなことを言うのが当たり前でした。

そういう母をもったせいで余計人と比べてどうこう言われることへの嫌悪感が私にはあるのかも知れません。

また、母を見ていてそんなことをしたところで、自分の気持ちの整理(幸せになること)に繋がらないことを実感したのもあると思います。

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だから、わざわざ人と比べてどう、ということに時間を割くこともしない訳です。

 

そう考えていると、母のコネで入社した職場は、母のような人が多分多かったのだと思います。

そういった部分で、全く肌に合わなかったのだと思います。

「幸せとは」という定義に、昭和的な考えで返す人が多いと言うか

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人にはよく文句を言う割に『あなたはどうなの?』と、突っ込みどころ満載な人が多かったように思います。

社内の人も機嫌が悪いと言うか何だかくさくさしている人が多くて、他人の動向もいちいち気になるらしく、私自身も『そんなくだらないこと、噂して何が楽しいのかな?』と本気で思うようなことで話題にされたこともあります。

 

今思えば、自分の考えとかこだわりがなく(ないと言うか、そういうものの考え方がわからない人が多かったのかも知れない)人と違ったことをやる人をネタにすることで「ふつう」の自分を安全地帯に置いておきたい人が多かったのだろうな、と思います。

ようは「母みたいな人」が、たくさんいたような印象です。

日本にはまだまだ、そういう人が多いなぁと思いますけど。

 

母は今「思ってたのと違う(娘に嫌われた)老後のせいで、もうどうなってもいい、いつ死んでもいい」と思うらしく、今さらもう失うものもないと思うのだけど未だに「お隣さんに笑われる!」とか、そのようなことをずっと言っています。

まぁ、認知症について「楽しく頭を動かすこと」でなく「なにくそ精神で生きたら大丈夫」と本気で思っているような母のことです。

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多分、死ぬまでそういう思想で生きるのだと思います。

 

母の生きてきた時代は、さっきも書いたような「幸せの定義」がそこまで多様化していなかったから「独身だから」とか「子どもいないから」とか、かつての " 劣 " だとされてきたようなことで人を劣っている扱いして安心することもまた、スタンダードだったのかも知れません。

なので、その年代の人が必死になってマウントを取ろうとするのはまだわからんでもないのですが、最近色んな人と接するようになって思うのは、そもそもマウンティングの対象である「羨ましい」とか「妬ましい」はたまた「良い」「悪い」の基準がどんどん変わってきているのだから、そのうちマウンティング自体成立しなくなるんじゃないか?ということです。

 

そのことに気がつき始めているから、そういうことで他人を意識しないで生きられる人が多い場所では単純に『心地よい』と感じるのかな?と思います。

 

しかし、先ほども書いたようにこれまでの「当たり前」「ふつう」を武器に、面白くない気持ちを自分を優位に見せることで何となくごまかしているなぁという人もまだまだたくさんいて、正直私からすると『まだ、そんなことをやってるんだなぁ』といった感じです。

 

その、最たるものが昨年縁を切った、元親友でもあります。

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私の嫌がることをわざと言ったりやったり、おかしなところで急に張り合ったり

とにかく不可解な言動が多く、本当に意味がわからなかったのですが、今思えば彼女もそういうタイプの人間だったから何かと私にマウンティングを仕掛けていたのだろうなぁと気がついたのはつい最近のことです。

マウンティング自体に興味がない人にはこれくらい無駄なことであることも皆が気付くと、そのうちマウンティングなんていうしょーもないことがなくなるかも知れませんね。

 

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信用されていないことに関して

前回、母の過剰な心配については「娘を信じるだけの心の余裕がなかった(小さい人間だった)」ということを書きましたが

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それについて他にも思ったことがあったので書きます。

 

昔から母は何においても自分が納得するまで詳しい説明を求めたり、こちらが答えるまで答えたくないこともしつこく聞いたりしてきた割に、他の毒親だったら厳しく禁止しそうなことも全くスルーすることが時々ありました。

 

昔、チケットの転売サイトを利用していたことがあって、高額な取引こそしないものの、利用には本人確認が必要なので時々そのサイトからの封書が届いていました。

 

当時、同じアイドル好きの知り合いと話していた時に、チケットを探していると言うので『そのサイト使えば?』と言うと「親がうるさいから使えないんです(あやしそうな封書で本人確認の書類が届くので、変なことにお金使ってんじゃないの!と怒られる)」との回答で、確かにその子は私より7~8歳年下だったし『そんなこともあるか』と聞き流していたのですが、そう言えば昔から母はある程度は私宛ての電話(家電の)や郵便物にも目を光らせていた割に、問い正したり勝手に開封したりはしませんでした。

その知り合いのことは母も知っていたので『〇〇さんの家は、お母さんがうるさく言うらしいけど、母さんはそういうの何で問い正したりせんかったん?(チケットサイトの封書について、なぜ問いたださなかったのか)』と聞いてみたことがあります。

 

あの異常な心配性の母のことです。

私が何かおかしなことをしてるんじゃないか?とか、母は絶対に言うと思ったからです。

すると「お金に絡むことでアンタがおかしなことしたりはせーへんって、母さん信じてるもん」ですって。

 

それでも、それとは裏腹に『そんなこと普通心配するか?』とか『もう私〇歳やで?』みたいな心配を急にし出すことも多々あったので、そのちぐはぐな感じにずっと違和感がありました。

 

私宛に届く封書は当時ほぼアイドル関係でしたが、私が借金もせず自分の稼ぎで何とかしていたのは母も同じ屋根の下で見ていたし、母に『お金貸して』とか言ったこともなければ、金銭トラブルになったりもしてないということは、高額のえげつない運用はしていないことを母も分かっていたのだろうと考えます(実際、していませんでした)

 

おそらく私程度が動かすお金は、異常な守銭奴の母の概念からしたら「一桁少ない」程度のものだったので(実際「たりのお金の話って母さんが思ってるより一桁少ないからな」と言われたこともあります)

もし何かあったとしても大したことはない。たりが動かす程度のお金で解決できるなら何とかなる。という部分においては、母は相当な自信をもっており、特に心配にならなかったのかも知れません。

 

その割に、私という存在(「大切な娘のたりだから」ではなく、1人で何もできない母が都合よく動かすことのできる存在)がいなくなる(家を出る)とか、誰かのものになる(結婚や同棲)とか、そういうことには異常に執着し、絶対に阻止しようとしていたので『そんなことは根掘り葉掘り問いただすんだ?(金銭面ではあんなに放任なのに?)』という疑問につながったのです。

 

当時『ちょっと遊びに行ってくる』と言うと、当時仲良かった男の子の名前と車種をしつこく聞かれ、嫌々答えると、後日母の字で「ユウタ・クラウン」などと、私の答えた男の子の名前と車種を走り書きしたメモが見つかったり(私が20代前半の頃。メモを見つけた時、ぞっとしました)

アイドル関係の遠征と再三言っているのに「ほんまに女と行くんか?」と、問い正してきたり

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とにかく、その年齢の娘に対してそれ聞く?というのと、ここは気にしないのか?の基準がちぐはぐだったのです。

 

その疑問が、最近になりやっと解けた気がします。

 

ちなみに、「お金に絡むことでアンタがおかしなことしたりはせーへんって、母さん信じてるもん」と言われたとき、当時既に母との付き合いに疲れていた頃だったから『へ?』と拍子抜けしましたが、ずっと信用されていないのだろうなという思いを抱いていた私は『そんなふうに思って貰えてたんだ(信用してくれていたのだ)』と嬉しくなったことを覚えています。

 

思えばこういうことの繰り返しで、何度も母には期待をしては裏切られた気分になる、の繰り返しをしていたように思います(DVのパートナーを何度殴られてもかばうのと似た心理かもしれない)

 

ある程度のところで『どんなに期待をしても、もうだめだろうな』と、諦めがついたのはそれよりももっとずっと後のことでした。

 

もっと早く、そのことに気がつき、見切りをつけておけば…と思う今日この頃です。

 

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