もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

負の感情はバネにならない?

家を出てからは、まず「母のことを嫌いと思う自分」を「だめじゃない」と認める作業の毎日でした。

何せ、家を出るにあたり「裏切り者」と罵られ(念のため説明すると、ここまで育ててやったのに、私の思い通りに家に残ろうとしないことは、親への侮辱であり裏切りである!という過干渉親独特の考え)本当に自分が「裏切り者の出来の悪い娘」と思い込んでいました。

 

「母を嫌うって、悪いことじゃないんだ」で、止まればよかったのですが、今までの理不尽なことに腹が立って「復讐」とか「上に立ってやる」みたいな考えが先に出てきたんです。

お前、毒親って言うんだよってわからせてやろうか、とか、謝らせようか、とか。

もちろん、今はもう思いません。それ言ってわかるくらいなら、元々毒親になんかならないでしょうからね。

 

そんな時に、でも、今までぬるま湯に浸かって暮らしてきたのも事実で、家を出て、本当に1人で生きていかなきゃ、の焦りもあって「何か資格とろう」と、思ったんです。(気付くの遅いし、単純すぎる)

まぁ、実家にいたらきっと何しても何かしら言われるし(こんなに通わなきゃなんないのとか、いくらかかったのとか、どんなことしてるの?見せてとか)せっかく横やり入れられず思ったことできるんだし!と、一念発起したのですが、最初から難関資格を狙いすぎて、合格は程遠く、3年ほどやってやめてしまいました。

 

けして真面目にやっていなかった訳でもないんですが、やめてからふと「私本当にこの資格取りたかったのかな」と考えた時、ちょっとかじったことがある程度で、別に好きでもないし、実際始めてからも嫌で嫌で仕方ありませんでした。

気付けば「あいつ(母)より偉くなってやる」みたいな気だけで勉強してて、それじゃあ頭に入る訳がないし、恨みとか怒りとか、そういう負の感情って、あまりバネとか励みにもならないのかなぁと後になって思いました。

「なにくそ!」だけで頑張れる人もきっといると思うんですけどね。

 

でも私はその勉強をしてる間、全く楽しくなかったので、「ワクワクする」とか「楽しそう」とか、それをやっている時の自分を少しでも好きになれそうなものが出てくるまで、やりたいこと探しを無理してやらなくてもいいかなぁと今は思っています。

 

それは、資格に限らず、他のことかも知れませんが、いつも「何もしない」ことが「悪」みたいな気になりがちだったので、今は「何もしたくないから、しない」でいいし、「何もしない自分を責めない」ことから始めています。