もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

今までの自分をほめて、認めてあげる

9月は前々からちょくちょく入っていた予定があったりして、まあ無職なので暇ではあったのですが、私の悪い癖でなかなか気が乗らず放置していました。

 

元々、気が乗ってない時に気乗りしないものをやらされることが人より苦手な傾向にある私です。もちろん、皆と足並み揃えて…な学校も大嫌いでした。

この性分は、社会人になってからは相当足かせとなっています。

元々お金にもあまり興味がないので、めちゃくちゃ嫌な思いをしてまで高給取りになりたいとは思いません。

それでも、母と暮らしていた当時は何だかんだ頑張れていました。頑張らないと生きていけない理由があったからです。

家から一時的に逃げる為に、あほみたいにアイドルを追っかけ回していたからです。

 

母は私が楽しそうに外で遊んだり、外食したりするのが気に入らないタイプでした。

いつも「自分はしんどい思いしてるのに!」みたいな気があるからなんでしょうね。

おまけに、遊ぶ相手が異性だと余計いい顔はしません。

tari97.hatenablog.com

母の人生目標は、私を独り立ちさせずずっと実家に住まわせ、さらに婿をもらって同居させるだったので、自分の認めた人(異性)以外と仲良くなられると困るんです。

途中からめんどくさくなった私は、異性と遊ぶのも何でもかんでも「ライブ」と偽って外に出るようにしていました。

アイドルを見に行くならば客もみんな女の子。母も世間知らずの単純な人なので「ファン仲間と泊まる」と言えば「ファンの子なら安全!」と、快く送り出してくれました。

とは言え、実際嘘をついて異性宅に泊まったのは数える程でしたが、母のいる家にいたくなかったので関東だ九州だと遠征しては息抜きをしていました。

 

最近、家も仕事も一番つらかった当時、通いつめていた舞台のDVDを再生していたら、後で頭痛で気分が悪くなるくらい号泣してしまいました。

その舞台は東京で行われていて、夜公演は最後まで見てると関西へ帰る新幹線に間に合わないんです。何回かは時計とにらめっこ、途中退席し走って帰っていました。

どんどん東京から離れて行き、地元駅に着く度に「またあの家に帰らないといけない」「またあの職場に行かないといけない」と思うと、つらくてどうしようもなくて「舞台を見て幸せな今の気分のまま、死んでしまいたい」「線路に飛び込めば、楽になれるかな」とまで考えた程です。

ずっと笑い話にしていましたが、そんな状態で生きてきた自分を今回初めて「よく頑張って生きてきたな」と、ほめてあげました。毒親問題がわからない人からしたらあほみたいな話だと思いますが、それくらい追い詰められていました。

 

当時は、そのアイドルが私にとって薬とかお酒のようなものだったのだと思います。一時キャーキャー騒いで家のことも仕事のことも忘れるため依存していただけでした。

なので、ブラックスレスレのしょうもない会社でも資金繰りの為に働けていました。

 

そのアイドルは今でも好きです。でも、その為に嫌な仕事も必死で耐えて身も心もぼろぼろにする気はないです。そこまでそれに依存しないと生きられないほど、つらいことがないから。

 

そんなに、死にたいくらいつらいのに「逃げる」選択をしたのはそれから5年後のこと。

ほんとに、毒親育ちの「当たり前」って、恐ろしいです…。

 

ちなみに

 

家を出てから、母にされた嫌なことを小出しで母に話しています(正したい!とかではなく、どういうリアクションを取るか見たいだけです)

 

「当時、ライブや舞台帰り、家に帰るのが嫌すぎて死にたかった」と言った私に向かって母が言った言葉は「お母さんも小さい頃、何でこんな家(母はすごく貧しい家に育った)に生まれたんやろうって何回も池の端に立ったよ」

ですって。

出た、娘に対する意味不明な対抗心。自分が一番かわいそうでしょ、な不幸自慢。

そこまで言われても「そうか、悪いことしたな」って回路が働かないのって、小さい子どもといっしょですよね。

ある意味毒親の模範解答ですけど。