家を出てすぐの頃は、母への恨みつらみばかりが頭の中を支配していたし「父となら、暮らせたのに」と思っていたものです。
父は酒が好きでしたが、家でチビチビ1人で飲むタイプで、外で飲んでトラブルを起こすとか、暴れるとか、そういうのはありませんでした。
ただ、友達もおらず趣味もないので、定年退職してからは酒の量は増える一方で、晩年は完全に酒に飲まれていました。
それでも母のように声を荒げて怒り狂ったりせず、温厚だったので私は父の方が好きでした。
最終的に家中に酒を隠してまで飲むようになりましたが、母だけを強烈に毒親認定していたので、そんな父のことも「そりゃ隠れて酒ぐらい飲みたくなるわな」ぐらいに思っていました。
けれど最近、ある意味父も父だったよなと思うようになりました(母の毒が強烈すぎて、気付くのがだいぶ遅れました)
昔から母は虫の居所が悪いと夕食を中断して、自分の考えを叫んで怒り狂う、というのを定期的にやってました。子どもが泣くまで、こんこんとやります。
確かに、私たちが悪い時もあったのだろうけど…今思うとほとんどがただの憂さ晴らしだったと思います。
家族は「まーた始まった」ってなもんです。
父だけは手を止めず酒まで飲んで(母は子どもにだけ箸一旦置いて聞け!と言う)酔って気持ちよくなったら「ほな父さん寝るわ。まぁ母さんもそない怒らんと」と、適当な声掛けをして寝室に逃げます。
ひとしきり叫んで気が済んだ母に「早く食べてしまえ」と言われ(誰が止めたんだよw)涙の味が混じる冷めきったごはんを食べた時のことを思い出すと、惨めでたまりません。
父は温厚ではあったけど、そういう場面で何一つ母の暴走を止めるようなことをしなかったなと気付きました。
「お母さん、言い過ぎやで」
「楽しくご飯食べようや」
なぜそういう言葉が「父として」言えなかったのだろう?
確かにあの母だから、言っても余計激高するのは目に見えてる。けれど、しつけの範疇を超えて単なる憂さ晴らしにやってるかの判断くらいは、ついたんじゃないかなと思うのです。
けれど、今、なんとなく理由がわかります。
そんな意見をして、ヘソを曲げられてご飯も作ってもらえず、酒も飲ませてもらえなくなると困るからだろうな、と。
父の人生目標はほかでもない「ラクして酒を飲むこと」だったから、だとやっとわかりました。
「酒をどうしても飲みたい」という気持ちがあるから、とりあえず適当にやり過ごして、今日はどれだけ飲めるか、だけを楽しみに生きていたんだと思います。
父は幼い頃お風呂に入れてくれたり、家事にも協力的でしたが、その先にあるものが「酒を存分に飲めるから」なのか、本当に娘を愛していたからなのか。
亡くなった今となっては、わかりません。