よく、毒親関係のブログや書籍などで見かける「自分軸」「他人軸」という言葉。
毒親問題と向き合い始めて4年くらいになりますが、この言葉の意味をやっと身をもって実感してきたように最近思います。
そもそも、毒に侵されている間は自分が「自分軸」で生きられていないこと自体に気がついていません。
そこから、自分の軸を他人(親)に乗っ取られていることに気付き、自分軸を取り戻していくのだと思います。
気が付くことはきっとよかったのだけれど、自分軸で生きられていなかった時期を思い出すと悔やまれることも多く辛くなるときもあります。
この「自分軸」の課題は、毒親問題においてすごく重要なことのように感じます。
私には、今好きな人がいます。出会いは6年前。
その頃、まだ私も実家に居て一番激しく母とのバトルを繰り返していた頃です。
彼と出会った当初は、私も「相手への不信感」「自信のない自分」「嫌われたくない自分」等々、オドオド全開で接していたな、と最近思い出します。
全く心を開けない感じでギクシャクするし、彼に全然必要とされていないな、とも感じました。
気を遣い過ぎて、会った後は何だかぐったり。
自分の言動を省みては「あれはよくなかったかな」とか、そんなことばかり反芻しては後悔して。
私ってほんとつまんない女だよな、と落ち込みヤケになっていました。
別に本人には何か言われた訳でもないのに。今思うとちょっと病的だったなとすら感じます。
それから、彼とは数年連絡を取らず、私自身も他に気になる人とかいたことはありましたが、あまり続かず。
今年の夏、本当に数年ぶりに彼に再会したんです。4年ぶりくらいかな。
それから、だんだんLINEも頻繁に入れてくれるようになって、ついこの間も会えたのですが。
自分でも驚いているのが、何て言うか「憑き物が取れた」みたいな。そんな手応えを感じたんです。
彼と接しているときの自分が全然自分を繕っていないな
自分のしたいこと、したくないことハッキリ言えているな
言いたいこと、飲み込まず言葉にできているな etc…
ある時「あ!これが " 自分軸 " ?!」ふと気付きました。
思い起こせばいつも相手の顔色をうかがい「ほんとはこう思っているんじゃないか」「迷惑なんじゃないか」そんなことばかり考えて「忙しければ無理しなくていいよ」みたいなことをすぐ言ってたのです。勝手に先回りして、予想して。
これは彼に限らず、誰相手にでもです。
そこに自分がどうしたいか、どうしてほしいか、なんて全くありませんでした。
結局、これも「他人軸」にすっぽり自分がはまってしまっていた、いや、はまるのが当たり前すぎたのかな?と、ふと感じたのです。
過干渉タイプの親の元では、そういう無駄な気遣いや先回りはむしろ評価されるので、誰に対しても無意識レベルでやってしまっていたのでしょう。他人軸で生きることがデフォルト化してしまっているので、それに何の疑いも感じない。
一見「気遣いのできる子」とも取れそうですが、そこには完全に「自分」がないですから…
あの頃の私は中身は空っぽの、服を着ただけの人間っぽい何か だったのかなとすら感じます。他人のレールに乗って、自分を押し殺すのが正解だと思っていました。
前までの彼は、こちらからのLINEも数ヶ月未読スルーなんて当たり前。返信もすごく素っ気なかったのですが、今は既読がわりとすぐにつくし、マメに返信してくれます。
とにかく、会っている時の彼の態度が、前と全然違います。
別人のように優しく、一緒にいてもお互い気を遣わず、家に帰ってからも楽しかったこと、嬉しかったことばかりが思い出されます。
「あれがだめだったかな」とか「こう言えばよかった」なんて、全く思わなくなりました。
机上で「自分軸」「他人軸」を語ってみても、自分がそれを理解しきれているのか?実践できているのか?
それはまだわかっていませんでした。
今回初めて手応えを感じられた、そんな気がしています。