もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「自分は、どうしたいの?」

前回、自分軸を取り戻せてきているのでは、というお話をしました。

tari97.hatenablog.com

自分でも、ずいぶんと変われたなぁという手応えは確かにあります。

けれど、やはり長年蓄積していたものはそう簡単になくなるものではありません。

家で1人でいる時とか、ふと色々考える瞬間にまた、横道に逸れてしまいそうになります。

「もしかして、嫌々LINE返してくれてるんじゃないか」

「私の返信のタイミングが早くて気を遣わせているんじゃないか」

相手に何か言われた訳でもないのに、染み付いてしまった「気持ちの先読み」をつい、やってしまいます。

 

自分軸を取り戻す道のりにはこんなに何年もかかったのに、たった数分でまたすぐにぐるぐると負のループにはまりそうになります。そして

「疲れてたら返信はしなくていいよ」

「しんどいのに、返事急かすみたいでごめんね」

…またこういうメッセージを送りそうになります。

悪いことではないと思います。これも一種の思いやりですから。

けれど、そういう時「自分の本音は?」と、必ず自問自答するようにしています。

「疲れてても、一言でいいから返事は欲しいな」

「しんどくても、早めに返信あるほうがやっぱり嬉しいな」

「私は、見たらすぐに返信したい!」

口には出さないけれど、それが私の本音です。

ならば、そう思っても、いいやん!

こちらの返信が早くても、別にいいやん!と考えるようにしています。

それこそが、自分軸で生きる、ということではないでしょうか。

 

毒親の元で育った子は、どうしても人より

 

ワガママ言ってはいけない

相手を困らせてはいけない

周りに迷惑かけてはいけない

相手の求める返しをしなきゃいけない

 

などと自分を縛り付けがちです。家でそうしないと怒られてきましたから。

だから、人付き合いが異様にしんどいし、よく考えると友達相手にでも、職場でもやりすぎていたのではと感じます。

だから、オドオドした、顔色をうかがうだけの空っぽの自分が出てきてつい取り繕ってしまうのです。これでは何も楽しめませんし、本当の自分の気持ちが自分でもわかりません。

単なるワガママにも思えますが、毒親育ちの人のそういったスキルは人より研ぎ澄まされていると感じるので、自分で少しワガママかな?と思うくらいで、ちょうどいいのでは?と思います。

 

私の「自分軸」の道は、まだまだすごく細い道で、左右は断崖絶壁です。

気を抜いて横道に逸れると、またすぐに落ちてしまいそうです。

だから、気持ちがブレそうになった時には「自分は、どうしたいの?」を立ち止まって、考えるようにしています。

難しいな、と思ってきたら上に書いた「〇〇でなければいけない」をまるっと逆に考えるようにしています。

 

ワガママ言ってもいいんじゃない?

相手を困らせてもいいんじゃない?

周りに迷惑かけてもいいんじゃない?

相手の求める返しをしなくてもいいんじゃない?

これはこれでちょっと乱暴ですが。

今までが「やりすぎ」なのでこれくらいでちょうどいいのでは、と思っています。