もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親友とのその後①

夏に喧嘩をした友人ですが、あれから2ヶ月ほど経ち、結局連絡もしなかったし、向こうからもありません。

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友人とは、もうずっと何年もほぼ毎日、何かしらの連絡を取っていて、それが生活の一部になっていました。誕生日おめでとうメールも、プレゼントを送り合うのもお互い欠かせたことはなかった。

喧嘩をして、先に来るのは私の誕生日だったので(先月でした)20数年ぶりにその友人から何もない誕生日を迎えたのですが、寂しくて仕方なかったです。

けれども、じゃあ元の関係に戻りたい?と自問自答すると、答えは「NO」

この数ヶ月、離れてみて、見えてきたこととか、気がついたことがたくさんありました。

友人も、親の都合で辛い幼少期を過ごした一人でした。

親のタイプは違えど、私と同じ心に大きな傷を負っているはず。いや、私より傷は大きいかも。相当酷い親でしたから。

しかし、私と決定的に違うな、と感じたのが、それに真剣に向き合おうとしなかった、というところでした。

かたや、私は日々毒親問題と向き合い自分なりに色々と努力しています。辛いこともあったし、わざわざこんな辛いことに向き合わずに、母に従って生きてた方が楽だったのかなと思う時すらありました。

それでも、いつでも「前向き」をテーマに、生きてきました。

いつの頃からか友人は、私に悪態をついたり、嫌がることをしたりするようになっていたな、と最近やっと気が付きました。

本当は、薄々気付いてはいたけど、認めたくなかっただけかも知れません。

私が嫌がることを面白がってわざと何度もやったり、私の好きな人の話をしても最後に「まぁ、私はそんな男嫌だけど(笑)」と、余計な一言を言ったり。

 

また、ここでの落とし穴的要素になったのが、私が支配下に置きたがる毒親の元で育った為に、そういう人に対してもハッキリ「不快だ」と言えず、聞かなかったふりをして合わせ続けてしまうのです。「今機嫌悪いのかな」とか「何か、気に障ることしちゃったかな」とか。

そういう「毒親専用対応」を、友人にも無意識でしてしまっていたのかも知れません。

ただ、よく考えたら私もそこまで言われる筋合いないし、昔はそんな子じゃなかったのになぜ、近年こんなに「やな奴」になってしまったのだろう?と不思議でした。

一体「やな奴」になったのが、いつからだっただろう?と考えると数年前からかな?と思います。

その間、私たちの間にあった大きな出来事と言えば、友人の結婚と、私の毒親との決別でした。

ここからは私の仮定&周りの意見ですが


友人は私の変化を見抜き、それを受け入れたくなかったのかな?と。

昔は、2人で延々と親とか、その他色んな愚痴や文句を言っては笑えていました。

ただ、私は今そこまで親の愚痴を言うほど、頭に「親ムカつく」思考がなく(このブログは、親への愚痴に見えるかもしれないけれど、こんなことあったなぁ。の整理、備忘録みたいなもの)

リアルな世界では、できるだけ、明るく楽しい話をして、笑ってたいのです。

けれど、友人にとっての「同士」は、毒に侵されまくっていた「あの頃の私」だったのではないかな?と思います。

2人ともが、自信がなくて、顔色をうかがい、卑屈だった…

 

私たちは「おかしな親に育てられた者同士の傷の舐め合い」で、癒され合ってたのかもしれない、と気が付きました。

 

続きます。