もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親友とのその後③

友人との話が続きますが、私にとっては「幼い頃の心の傷が影響するもの」として毒親問題と切っても切れない関係にあるのでは?と考察している為、もうしばらくお付き合い下さい。

親友とのその後①

親友とのその後②

①でも書いたように、私との「おかしな親に育てられた者同士の傷の舐め合い」が、友人にとってはある種の癒しだったのかも知れません。

確かに、私も癒しになっていた時期がありました。
ただ、私は、そんな風に一生を過ごすのは嫌になったので、傷の舐め合いをやめようとした訳です。確かに、勝手な話かも知れないけれど、私が気付きを得て「変わろう!」と思うことを咎められる理由もありません。けれど友人は、その私がどうしても気に入らなかったんじゃないかな。
新しい景色を見に行こうとする私の足を、引っ張っていたかったのではないか。

友人の結婚は「幸せになれそうなアイテム」を揃えただけのような気がしてなりません。

残念ながら、物理的にものを揃えただけでは、人間は健全に生きられません。

衣食住だけをしっかり、精神的なケアは間違いだらけで育てられた私なので、それは自信を持って言えます。

ましてや、友人もマトモとは言い難い親に育てられたのだから、精神的なケアをもっと自分自身と向き合って、本腰入れてやった方が、まだまだ長い人生楽しく楽に生きられるのでは?と考えます。

せっかく、優しくて温厚な旦那さんと出会えたのだから、余計に思うのです。

私のこの仮定と、周りの意見はもしかしたらすごく傲慢に聞こえるかも知れません。

ですので、あくまでも「仮定」です。

けれども、20数年、友人を見てきたことも事実です。

友人が、どんなことが悲しくて、どんなことをされたら嬉しいか。

もしかしたら本人より知っているかも知れません。

そして、本当は「やな奴」じゃないことも、私は知っています。

 

だからこそ、ここまでの仮定でも想像しないと、最後の方にされた嫌がらせみたいな言動が本当に酷く、やりきれないのです。

「悪いのは友人をつくった、環境」と、思いたいのですね。嫌いになって別れた訳ではないので…

最後にあんな形で別れることになってしまったのは、私も辛かったけれど、今はなるべくしてなった結果かなぁとも思います。

最後に、最近ネットで見つけた言葉を紹介します。

人の不幸を願う心は

自分と自分の周りの人たちを

正当化したい心の現れ

他人と比べて優位に立ちたい心の現れ

「私が嫌がることをわざとやる」

「私が好きなものや人をわざわざ貶す」

そして私が母にされて一番嫌だったことと同じ「こちらに非がないのに、不機嫌で接する」
友人にされて、本当に嫌だったことです。
どうして、口では『大好き!』『ずっと友達』と言ってくれた親友の私に対して、そんなことをやったり言ったりできるのか?不可解だったものが、この文章を読んで、少し分かった気がしました。

そして、気が付きました。

最後に別れたときの友人は、意見とか、態度が、私の大嫌いだった頃の母親にそっくりでした。