もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

子どもは、ロボットではない

子どもに対する暴力や虐待はもってのほかですが、一見普通の家庭に見えて親が「子どもに興味がない」「ひとりの人格として扱わない」というのも、立派な精神的虐待だなぁと最近思います。

子どもを「愚痴を吐く」「言うことを聞かせる」「将来自分が困らないようにする」対象として扱うご都合ロボットくらいにしか感じていない

親自身が大人になりきれない、幼稚な親なのでしょう。

言うまでもなくうちの母がそうでした。

 

けれど、そのロボットを動かすためにはそれなりに尽くしますので、世間的には良い家庭に映る訳です。ここが厄介なのです。

本物のロボットは、機械面でのメンテナンスだけで動き続けますが、子どもは人間です。

手足が動けば、食事ができれば、金銭的に不自由がなければ…機械面だけをしっかりしていれば良い訳ではないのです。

しかし「子どもに興味のない」親は、そこだけをしっかりメンテナンスしておけばいいと勘違いをしていることが多いと感じます。

人間は、機械面でのメンテナンス(上記のような、健全な衣食住)に加え、メンタルのメンテナンスがないと、やはり正常には動くことができなくなるのだと思います。

それでも、機械面がしっかりしていると正常に動いているように見えますので、無理がきいてしまうのです。

メンタルのケアやメンテナンスがないまま動き続けた結果、機械面にも異常をきたしてしまうのが大人になってからの異様な生きづらさや精神的な病の正体では、と考えます。

 

幼い頃経済的に困ったことはありませんでした。

母は食事を手抜きもしなかったし、学校で必要な物などを準備できないなんてことも絶対にありませんでした。

服もそれなりのものを着させてもらっていたし、旅行などにもよく連れて行ってもらいました。

ですので、衣食住不自由なく育ててくれたことと、娘に金銭的に頼ろうとはしなかったことは、感謝しています。

ろくな子育てもしていないのに、子に金の無心までする親もごまんといますからね。

 

ただ、母はずっと「経済的に困らないことと引き換えに、親が娘を支配して何が悪い」という感じでしたし、私もそう信じきっていました。

「アンタは恵まれているのだから(経済的に)黙ってお母さんの言う事を聞いてりゃいい」という扱いを、ずいぶん長い間受けてきたし、私もそれがおかしいことに気が付きませんでした。

 

これでは冒頭に書いたメンタルのメンテナンスが全く追い付かず、時に母を刺してしまいそうな衝動に駆られるくらい、関係がこじれてしまっても今思えば当然です。

いわば、私が家を出たのはロボットの反乱だったわけですが、私は生身の人間ですから生きるために必要な選択肢だったのです。

 

幼い頃から母は料理を手抜きしなかったりわりと良い生活を子どもに提供していたのに『母さんってほんまに娘に興味ないんやな』と子どもにも薄々勘付かれてしまうようなことを言ったりしたりしていたので、傲慢な言い方ですけど…もったいないというか…ツメが甘いな…と感じます。

 

そのエピソードはまた次回。