もし、今毒親相手にイベントのプレゼントやお祝いをやるのが嫌だと感じている方がいたら、全然やらなくてもいいですよ(やらないと怒り狂うタイプの親なら無理でしょうが)
子どもに興味のない親は子どもに何かしてもらっても、こちらが思っているほど感激もしないし、喜んでもいません。
上の記事の続きです。
昔、幼い頃、母の日に手紙を書いて母に渡したことがあります。
でも、次の日何となく母の部屋に入ってふとゴミ箱を見ると、昨日の今日なのにもうその手紙が捨てられていました。
「間違えて捨ててしまったのかな」とか思いたかったけれど、酔っ払ってた訳でもあるまいし、ほかの人が捨てるはずもない。
母が自分の手でゴミ箱に捨てたとしか考えられません。
ずっと「あれは何かの間違いだ」と思いたかったけれど
毒親であることを認めてからは腑に落ちました。
母は「幼い」娘には本当に興味がなかったのでしょう。
母が歯を食いしばって、仕事を続け、節約生活をしてきたのも、娘が大きくなればかいがいしく自分の世話をしてくれる!と決めつけていたから。と言うか、何としてでもそうしようと考えていたのでしょう。金や家を武器に娘を縛り付けておこうと考えていたのですね。ほとんど、それを糧に、育てていたのだと思います。
口では「腹を痛めて産んだ子やから」とか言っていたけれど、「愛おしい」「可愛くて仕方ない」と感じることは、正直なかったのだと思う。
母にとって、一番可愛くてかわいそうなのは、他でもない「自分」だったのですから。
実際母自身も私たち娘本人の前で「早く大きくなってほしかった」
(高校生くらいになって)「やっとまともに話ができるようになったと思った」など、言っていました。
子どもの頃の小さな「おかしいな」ということが、毒親問題に立ち向かうようになって「子どものすることに、本当に興味がなかったのだな」と、どんどん腑に落ちる感覚があり、良かったのやら悪かったのやら。
そういえば、子どもの頃、よく漫画で見るような「肩たたき券」みたいなものも、母にプレゼントしたことがあります。その時のリアクションも今思い出すと笑ってしまうくらい興味なさそうでした。でも「マッサージしろ」とかは言われるので『じゃあ、あの券使って!』とか言っても「今ええから、早く」と、まるで子どもに合わせようともしません。
けれど、よくテレビや漫画では、そういうものをもらった親って、時には涙を流して喜んでいたりしますね。何で、毎回こんなに子どものやることを、めんどくさそうにあしらうのか?それも幼い頃不思議でしたが、子どもに興味がないのに加え、子どもの相手をしてあげる気持ちの余裕すら、なかったのでしょうね(苦笑)