もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親のせいにするのは「甘え」なのか

最近、また似た境遇の人のブログを巡っていて共感したことです。

日本だけなのか?「他人のせい」にすることにすごく風当たりがきついですけど、例えば子どもは親を選べなかったり「どうしようもないこと」だってあるので、何でもかんでも「親のせいにするな」「甘ったれるな」というのは毒親育ちにはちょっと酷かなと思います。

毒親育ち側からこういう話をすると、どうしても「甘えてる」とか「不幸自慢」みたいに思われがちなので、今の時点で少しでも感じた方はここで閉じるボタンを押すことをオススメします。

幸せに育てられれば、結婚式で読む手紙よろしく「両親のおかげで」と言うのなら、毒親に育てられて「両親のせいで」と言うことだけを「悪」とされるのはどうなんだろう?

私が親の言う通りに生きてきて、一番後悔していることは、若いうちに資格を取ったり手に職を付けなかったことです。

そんなの自分の責任ですけど、やっぱり多少は親のせいにもしたい。

思えば、学生時代に母と将来の仕事の話はあまりしたことがなかった気がします。まず母は子どもに興味がないし(途中から、私の進路は姉に丸投げ)私が短大か大学を出れば、婿をもらって同居!と考えていたので、正社員でなんか働かなくてもOKくらいにしか考えてなかったんじゃないかなと思います。

「女はいつか結婚するから(何とかなる)」

「アンタは顔がええから(何とかなる)」(別にずば抜けて美人とかではないが、汚いとかは言われたことはない程度)

そんなふわっとしたことしか言われてこなかったけど、もう少しマトモなアドバイスが欲しかったなぁと思います。まぁその言葉を信じた私もバカでしたが。

あとは昔から両親ともに世間には否定的で「頑張ること」を何か無駄なことかのように話していたし、なぜか子どもの能力をすごく低めに見積もっていた気がします。

それが理由かはわからないけど、そもそも自分が「どうしたいか」を考えるやり方がわからないし「夢を持つ」ということの方法もよくわからなかった。

ただ「楽して、そこそこの道を歩めばいいんだろうな」くらいしか、両親から学ぶことはありませんでした。

なので当時で言うと、同世代のSPEEDなんかが若くして活躍していましたが、彼女たちが「歌やダンスをやりたい!」と思ったこと、まずそこに驚いていました。どの時点で「アーティストになる夢叶えたい」なんて、思えたのか?

時には涙を流し、メンバーとぶつかり合い…そういう「精一杯生きてる」感じが、一体、どこからそれが始まって、どう進んで、今のこの姿になったの??

ただ、しんどいことはせず起伏のない人生を送るのが正しいと思っていた私は、そんなことばかりが気になって、不思議で、仕方ありませんでした。

確かに、経済的に恵まれていたためになし崩し的な若年期を過ごしたことは否めないけれど、私が「やりたい!」と思ったことを親が「自分が対応できるかどうか」だけでジャッジして「良い・悪い」を決めてきたことも事実で、どうもその範囲が非常に狭かったのでは?と思うのです。

世の中には、早くに自分の歩む道を見つけて、苦労してきた人もいると思います。

そういう人からすると「反抗してでもやりたいことをやるべき」「先を見据えてない自分の責任」と感じるでしょう。

ただ、毒親との喧嘩や話し合いは精神的に本当に摩耗するので、反抗するくらいなら長いものには巻かれとこう…となってしまう…その気持ちが全くわからず、さっきみたいなセリフを言う人は…結局、毒親のヤバさを全然わからない人なんだろうな、と思う(冒頭に閉じるボタンを押さずにここまで読みましたね?笑)

親と離れた今でこそ「もっと反抗しておけば」とも思うけど、同じことを10代やそこらの自分にできたか?と考えると、あの親に対してそれは、やった方が賢い選択だったとも一概に言えません。

こういった背景があることを「親のせいにするな」と一言で片付けられてしまうと、ちょっとつらいな~とも思ってしまうのです。

続きます。