私の20代は、ほとんどが母にかき回されて終わりました。
現実逃避の為にアイドルオタクをして楽しかったけど
上の記事のようにライブが終わると死にたくなっていたあたり、今考えたら健全な「オタク」とはかけ離れてたと思います。
その頃の母は
①夫の介護心配!(19歳上の夫はいつ介護状態になってもおかしくはない)
②娘に婿もらう!(使い物にならなくなった夫の次は、さぁ!娘に依存!)
の2本柱で生きてて、それが世界の全てだったのでしょう。だからマトモな話ができないし『母ってここまで話の通じない人だったかな』と毎日思ってました。
ただ、いつも思うのが
まず①については、自分の選んだ道ですよね。同い年で結婚したのに夫だけが先に19歳、年取った訳じゃないでしょう。
結婚した時から「他の夫婦より早く介護する時期が来る」なんてわかっていることなのに、父が年老いていく現実から母はいつも逃げていました。
あれだけ、何でもかんでも「おとーさん、やって」とおんぶにだっこしてもらって、使い物にならなくなったら、手のかかる邪魔なジジィ扱い。
②は「婿もらって、家継ぎたい」なんて娘が一言も言ってないうちから勝手にレールを敷き、無理矢理歩かせようとしていました。しかも名目上は「娘を幸せにしたい」ということにして、結局自分が依存する相手を手元に置いておきたかっただけ。
「おとーさん、やって」ができなくなれば次は「たりー、やって」です。あわよくば「〇〇くーん(←私の夫)やって」だったのでしょう。
だから私が22歳くらいで「一人暮らししたい」と言った時の母の取り乱し方は異常だったし、これ以上言ったら殺されると本気で思いました。
そのときから母は私を脱獄を企む囚人を見張るかのごとく、あの手この手で家に閉じ込めておこうとしました。
今思うと正直に話さなくてもよかったのに、まだ仲良し母娘に戻れると思っていた当時『今、いいなと思う人がいて、その人が京都の人で…』という話をしたのです。
すると母は「あっそ!アンタは京都に引っ越して、京都に住むんやな!」と一方的に喚いてその場を去りました。まだその人を「好き」とすら言ってないうちからそこまで話が飛躍するくらい、よっぽど余裕がなかったのでしょう。
このことは未だに許せませんが。
ただ、よくわからないのが、一人暮らしは断固反対な割に「結婚をして出ていく」のはOKという母の独自ルールがあったので、母に聞いたことがあります。
『母さんは婿がほしいのに、私がよそに嫁いで出ていくのはいいんや?一人暮らしはダメで、結婚はいいの?』と。
すると、母は「何や!出ていくんか!」
この時期は万事がこれで、マトモに話ができなかった訳です。
囚人(=私)がいつ何を企てるか、戦々恐々としていたのでしょう。
なら、もう少し嫌われないように自分の態度改めるとか、してもいいと思うのですが。
こうやって見たらわかりますね。
母の生き方は「依存」で成り立っていて
①は夫に依存することしか考えず生きて来た結果
②は娘に依存する気満々
多分、夫も娘も、オイシイとこは使わせてもらう、自分が楽に生きられるためのオプション程度にしか考えてなかったのでしょう。
だから「結婚」というめでたいことで娘が家を出ていくなら「ま、いっか☆」程度だったのでは(まぁどうせ、もしそうなっても「徒歩圏に住め!」って言われたりとか、別の問題が浮上してきてたんじゃないか?と思うけど)
最近になって時々母にされて嫌だったことを話してみるのですが(謝らせたい訳ではないです。リアクションを見たいだけです)たまに、えらくアッサリ謝ってくることもあります。
ただ、②だけは絶対に謝らないどころか、未だに言い訳してます。
謝ったら、自分の人生が思い通りにいかず、頑張りが無駄だったと再確認させられるからでしょうか?
「お母さんは田舎で育ったからなぁ、そうするのが当たり前やと思てたんよ」
知らんがな。
「でも、嫌な思いさせたなら、ごめんね」とは、多分死ぬまで言わないと思います。
そんなに血を絶やしたくなかったら、息子が生まれるまで子作りするか、男の子の養子でも貰えばよかったのに。
よく母は人のことを「考えが浅いわ!」とか「先のこと考えて行動せなあかんで」とか言ってたけど、思いっきりブーメランだと思う今日この頃。