さて、夏に仕事を辞めて、約3ヶ月心の休暇も十分取れました。
そろそろお金を稼がないと厳しいので、今月からは働いていますが、この3ヶ月は「何もしない」というのが、とても自分のためになりました。
自堕落な生活をしてはいましたが、何も考えず過ごした訳ではなく、自分を見つめ直すすごくいいきっかけになりました。
本当は、心が病んでる人がみんなこんな休暇期間を設けられるといいんですけど…。
最近、毒親問題とは全然関係なくやっているTwitterの自分の投稿をずーっと遡ってみたんですね。
もう、始めてから5~6年経つので、なかなか時間がかかりましたが、これもまたひとつ気付きがありました。
昔の自分のツイートが、すごく愚痴っぽくて、それが仕事のことでもありプライベートなことでもあって…ところが、今ってここまでの愚痴ること、ないよなぁ…と感じたのです。やっぱり「他人軸」に相当左右されていた気がしました。
今読むと、明らかに相手の態度とか言動に問題があるのに「何か悪いことしたかな」「気にさわったかな」と気にしては、自分を責めるツイート。一番多かったのは、やはり夏に喧嘩した親友とのことでした。
今思うと、何でそこまで気つかってんの?と自分でもつっこみたくなりましたが、ああ、やっぱり私、相当親友の軸に乗っ取られていたな、と感じた瞬間でもあります。
毒親問題で悩んでいると、つい親にフォーカスしすぎて、全てを親のせいにしそうになりますが、親と離れたり、親がいない時にもしんどいのなら近くの人の毒にやられていることも疑ってみるのがいいのかも。
この記事の後半に書いたような「ソフト毒」人間、あなたの周りには、いないでしょうか。
私みたいに、プッツリ縁を切らないにしても、友達や恋人と距離を置くことも気付きのひとつであったりもします。
親を「毒親」と認めるのが嫌なのと同じで、好きだと思ってた人を毒フィルターで見るのは辛いですよね。私も離れて初めて「もしかして…?」と思ったくらいなので、周りの人を毒タイプかどうかなんて、なかなか仕分けできないとは思いますが。
それでも、こんなことは本当は言いたくないけれど、家族の次くらいにたくさんの時間を共有した親友と縁が切れた今、すごく変われた自分に気が付いています。まるで、憑き物が取れたかのよう。
それにしても、一番の親友と人生最大の喧嘩をしたことが、ちょうど無職期間だったのは「不幸中の幸い」だったかも。
喧嘩した当初は辛くて仕方なかったし、そんな中忙しい毎日にも追われていたら…ここまで冷静に、客観的に考えることもできなかったんじゃないかな。
有り余る時間の中で、私のよくないところ…他人に合わせようとしすぎる、終わりの見えないしんどさみたいなものをずっと抱えながら、何となく仲良くしていただけだったな、もう既に友達は心の支えどころか、最近は重荷になっていたなということにも気が付けました。
あなたのそばの人は、どうでしょうか。
親友を「悪いもの」のように言うのは忍びないですが…実際に離れた今めちゃくちゃ肩の荷が降りた感じと、明確に「もう、戻りたくない」と感じている自分がいることを再確認したので、もう後悔もないです。向こうからも連絡が来ないあたり、相手も同じ気持ちなのでは、と思っています。
夏に喧嘩をして、約3ヶ月の間でクールダウンはしましたが「いままでありがとう」とは思うけれど「これからもよろしく」には、やはりなりませんでした。