何気なく始めたブログでしたが、こうやって毒親問題と向き合って文章にすることは、手間もお金もかからない割にすごく自分にプラスになっている気がします。
その証拠に最近はほとんど毎日、ブログを更新するのがとても楽しみです。
けして義務感からやっているのはなくて、好きで発信しています。
ほとんどが母の愚痴に聞こえるとは思いますが「思い出すための材料」と「思い出したことを書く備忘録」であって、それにより「まぁ、ここは救われたな」という部分も見つけられるということにも気が付きました。
前にも書いたように、経済的に困ることはなかったこと。おいしいごはんだけは欠かさず食べさせてもらえたこと。それなりに何かを買ってもらったり、どこかへ連れて行ってもらったりしたこと。
あと、これは母の嫌いなところでもあるのですが、ある意味救われたかも?と思うことがあります。
何て言うか…母ってほんとに「少女がそのまんま大人の姿になっただけ」みたいな感じなんですよね。だから世間知らずの井の中の蛙状態だった訳で。
確かに口は悪いんだけど、関西弁で言う「いけず」ではなかったんです。
もしこのブログを読んで下さってる方がいたら「でも、えげつない悪口言ってたんでしょ?」と思うと思うのですが(前記事参照)
素がそれなので、例えば小さい子どもは正直なので、太っている人に「何でそんなに大きいの?」とか悪気なく言ったりしますよね。そんな感じなんです。伝わるかなぁ?
けして、相手を嫌な気持ちにさせてやる!とか裏をかいてるのではなくて、純粋すぎてストレートすぎるだけなんですよね。大人になればオブラートに包むとか遠回しに言うとか、そういう技を身に付けると思うのですが、そういうのが一切ないというか。外では多少やってたとは思うのですが、家族相手だと甘えていて特に…なんでしょうね。
ただ「悪気がない」のがある意味タチ悪いっちゃあ悪いし、外面は良いあたり家族には多少言ってもOKみたいな甘えがあったことは確かだとは思うのですが。
だから、未だにあほみたいなこと急に言ったりするんですけど、世間的に言う「いけず」な女ではなかったので、幸い私たち娘も「いけず」「陰険」みたいなとこはない…と思っています、、たぶん。
それから、毒家庭ながら一番救われたなーと思うことがあります。
それは、母が、姉と私を差を付けて育てなかったこと。
母は、4人きょうだいの末っ子で、いつも「みそっかす」みたいに扱われるのが嫌だったらしく、もし自分に子どもがたとえ何人できたとしても、誰かをひいきしたりは絶対しないと誓ったそう。反面教師というやつですね。
おかげで、私も姉に対して卑屈な気持ちを抱いたりしたことはないし、姉もきっとそうです。今でもめちゃくちゃ仲良しですしね。それだけは、本当によかったな、と。
一時期、私が家を出て腐りきっていた頃の母は、自分の撒いた種なのに「姉妹仲良し」にまで嫉妬していましたけど。
ただ、毒親ブログなんかでは、母親が女の子にはつらく当たり、男の子だけ寵愛するというのもよく見かけます。同性でも「妹ばかりをかわいがる」とかもあり、そこは私の未知の世界でもあります。
母の「姉妹で差を付けない」誓いは守られた訳ですが「女の子だけだったからでは?」と思う方もいるのではないでしょうか。あれだけ「後継ぎ」にこだわっていた母なので、確実な後継ぎ候補の「男の子」がいなかったら、姉だろうが妹だろうが「どちらもあんまり興味がなかった」という線も濃厚。「2人だけだから、たまたまできた」だけというのもあり得ます。
しかし、うちの場合「男の子」がいないせいで、家に残った私に「後継ぎ」の重荷がのしかかったということにもなります。
それについて、少し考えてみましたので、また次回。