もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親問題って、セクハラに似てませんか?

私は前々から書いているとおり「過干渉親」に育てられた毒親育ちです。

このタイプの人たちは「毒親」という言葉自体に理解がない人から「お母さんも心配だったんだよ」「あなたも子どもを生めばわかるよ」「本当の親を悪く言うもんじゃない」といった類のことを言われ、苦しんだことも多いのではないでしょうか(親は「毒」なんて言葉とは程遠いくらい外面がいいから、余計言われるのよね)

確かにそうだよな、と思っては自分を責めて苦しい時代もあり「何もわからない奴がとやかく言うな!」と苛立った時代もまたあります。

しかし、そういうことを言ってくる人は、そもそもそんなこと(毒親問題)に触れる機会がなかった人たちなので「わからなくて当然」「見当違いの助言をしてきても仕方ない」と思えるようになりました(やっとw)

生まれて一度も食べたことのない物の味がわからないのと同じで、いくら説明しても、体験してみないとわかりません。

それが例えばすっごくまずいもので、それをアピールしても、食べたことのない人からしたら「そんなに?」「言うて、食べれるでしょw」とか言うのと同じなんだろうなと解釈してます。悪気はないのです。なので、そういう人にはわざわざ伝えなくてもいいわという結論に至りました。

 

ただ、最近は「タイプの違う毒親に育てられた人との絡みには気をつけよう」と思っています。

と言うのも、同じ毒親育ちと言っても私と違い「金銭的に苦労した」人も「手を上げられていた」人もいます。親らしいことを何もせず「放置されてきた」人からすると「過干渉」すら羨望の対象になり得るようです。

そこまでは、まぁわからんでもないのですが、だからと言って私のことを「金あるだけまだマシ」とか「殴られること思ったら、それくらい」などと言われる筋合いは全くないのですね。

 

昔、友達に、父が手を上げる人で、母は男性にだらしなく、若干放置気味に育てられた子がいました。そんな家庭なので、早くから親に見切りをつけ、一人で生きて行ける準備をすべく、若くして資格勉強をしたりするところは尊敬していましたが、親のことで私が愚痴を言うと「たりは考え方が甘い」と吐き捨てられたことがあります。

そのときは、そうだよなぁ、親に言われるがまま、なし崩し的に生きてきてしまったしなぁと思ったのですが

今思うとその子の発言の端々に「私の家のほうが酷い。たりの家のほうがマシ。なのに何を甘ったれてるんだ」的なニュアンスがあったなと感じます。

 

毒親のことでどっちがどう、なんて比べるものでもないし、別に私も「毒親レベル対決」をしたく愚痴っている訳でもないです(笑)

ただ、同じ家で同じ親に育てられた訳でも、同じ感受性を持ち合わせている訳でもない友達に「甘ったれてる」なんて言われる筋合いも、ないです。「甘ったれてるか、そうでないか」の基準は何?って話なのです。

私も、昔は自分の親がおかしいと認めたくなかったのもあって、冒頭で書いたようなことも含め、そういうことを言われると「確かにそうかもしれない」とも思っていたけど、やっぱりセクハラなんかと同じで「子どもが嫌だと感じた時点で、アウト」なんだと思うんですよね。

例えばセクハラに例えてみて、上司にお尻触られた子に「お尻くらいで済んでマシじゃない。私なんか夜の相手させられたよ」「あなたのが、マシ」と言うのは、おかしくないかな?ということです。

セクハラめいた発言でなくても、そう感じて出社できなくなる子もいれば、たいがいのことされても「またやられたわw」で済む人もいます。けれど、どちらも本人が「セクハラ」と感じたらそうなんだろうし、その度合いでマシとか甘えてるとか、他人がジャッジする権利は、ないのでは?と思うのです。

 

そりゃ、親なんて口うるさいものだけど、どうも、友達の「親、ウザい」とは、何かが違うぞ?というザワザワ感があって、結果、あれだけ不快に思う時点で「毒」になっていた訳です。

感じ方にだって個人差があります。もしかしたらもっともっと酷い親に育てられても何も感じず一生を終える人だっているでしょう。

そうではなく、繊細に感じとる人を「弱い」「気にしすぎ」「甘ったれてる」と決めつけるのは違う気がします。

 

逆に言わせてもらうと

放任家庭では外出だって簡単にできるわけですよね。「ちょっとそこまで」でも「誰と行くの」「それほんまに今行かなあかんの」等、延々取り調べみたいに言われて「あ~もううるさいな。ほな行くのやめるわ」と子どもに言わせるまで言われることがうちでは日常茶飯事だったのですが(外出以外でも、万事がこれ)

それでも過干渉な家に生まれる方がマシでしたか?ということになるんですよね。

私はそんな背比べをほかの毒親育ちの方とやりたい訳でもないし、それをわからせたくてブログを書いている訳ではありません。

 

どこかで「毒親問題は相談相手を誤ると余計深刻化する」というようなことを見たことがありましたが、こういうことなのかも知れませんね。

 

そう考えると、私も先ほど書いた友達に愚痴ったのも、ある意味よくなかったのかも知れないですね。話す相手を選ぶべきだったのかな。

少しでも「言うほどでもないじゃん」とか、そういう気持ちで接する自分がいるなら、同じ「毒親育ち」だとか「AC」でも、近寄らないのがお互いのためでは?と思います。

あ、違うな。と思ったらそれ以上見たり聞いたりしない。「違う」ことを「貶す」のは何の解決にもならないと感じています。

ちなみに私もこのブログを始めた頃はまだ「うちよりマシか、酷いか」論で話していた気がします。

今でもまだ他人のブログなんかを見て「まだ話のわかる親で、いいじゃん」と、つい自分と比べたりしそうになりますが「それが目的じゃない」ことを思い出すようにしています。読んでて複雑な気分になるなら、それ以降読まないことにします。

(あ、もちろん比べて「うちのがまだマシだわ」と「思うこと」が目的ならば、いいと思いますが…)