もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親に食われていた私のメモリ(空きがないので、苦しい)

今は、週3日だけ、平日に働いています。

正直お金は厳しいけど、とりあえずは「接する人の頭数が少ない」今の職場で何とか頑張ってみようと思っています。

長年、週5日、月~金でフルで働いてきましたが、ずっと精神的にものすごくしんどくて、ついに今年ギブアップしてしまいました。けれど、世の中は大体それで回っていて、もっとお休みが少ないとか、長い労働時間の方だってごまんといます。

他の人が頑張れることをできない自分はいよいよ本当に人間としてダメなんだなぁと思って責めては、落ち込んでばかりでしたが

今の仕事量で「これくらいならいけそう」みたいな感じがしてきて、やっと、何となく色んなことがわかった気がします。

 

今回「心の " 容量 " 」ということで、考えてみたのですが

昔から、親の訳のわからない押し付けや決めつけ、家での異様な緊張感、晩年は父の飲酒のこと…などで、私の心の " 容量 " はほぼ空きがなかったのでは?と思うのです。

それを、一時の感情の高ぶり(アイドル依存・買い物依存)で無理に上書きしようとしたり、間違った方法(他人への悪口やネットで叩く、腹の立つ人への仕返し等)で容量を空けようとしたりするから、結局全然空き容量のないまま、また日々のことをこなさないといけなくなって、普通に生活するだけでもいっぱいいっぱいだったのかなと思ったのです。

夏に無職だったときもそうだったし、今も、休みの日も予定も入れず朝から晩まで家でダラダラする時間が本当に楽しいです。そのうち飽きるかなとか思うんですけど、きっとこれが今徐々に空き容量を増やしていく作業に繋がってるんじゃないかなーと勝手に解釈しています。

 

テレビのレコーダーもどんどん、録画していったらそのうち容量がいっぱいになって録画できなくなりますよね。

それで例えると、変な親に育てられた人は、見たくもないものを膨大な量、親に勝手に録画されてきた、みたいな感じなのでは?と感じた訳です。

母は、意味不明なマイルールでいっぱいいっぱいなので、もちろん自分に容量の空きは常にありません。そこで、家族を捕まえて家族の空きにもどんどん自分好みのものを録画させていたみたいなタイプかな(迷惑すぎる)

私のメモリ(=心)は、相当母に食われていたのではないかなと今になって思います。そして、たった少し残った空きの中で色々なことを他の人と同じようにやろうとするから無理が生じ、壊れてしまったのかな?と。

 

最近、ブログに書き起こしてみて、書くほどでもないようなこともどんどん思い出して、あそこまで子どもみたいなワガママ放題の母親のおもりを、よくもまぁあんなに長年やってきたよな、と自分で思います。

誰もほめてもくれないけど、自分で自分をほめてあげたい。

 

よく、毒親関係のブログでも「自分を認めてあげよう」とか「悪いのは、あなたじゃない」とか書いてあるけど、何のことかよくわかりませんでした。

だって、あんなに従い続けた親にすら認められるどころか貶されて、結局うまくやれなかった。私が悪いんじゃないの?娘が例えば私じゃなかったら、うまくいってたんじゃないの?としか思えなくて「何きれいごと言ってんだか」って感じだったんです。

 

ただ、この意味を私なりに解釈したのが

自分の親や家庭が「普通ではなかった」ということを、認めることは悪いことではないってことじゃないかな。

ここでいう「普通ではない」は「世間一般の」とか「常識的に考えて」とかいう意味ではなくて、あくまでも子どもが耐えられる許容量を超えていたということです。これは、前の記事で書いたことです。

毒の種類もレベルもそれぞれだけど、子どもの許容範囲だって個人個人で違う訳です。そもそも、親や家庭の基準なんて存在してないのだから、普通も何もないですし。とにかく子どもが「精神的苦痛を感じた」これが一番の答えであり、真実なんだと思います。

 

訳のわからない押し付けや決めつけ、暴言ですら「愛情」だと信じて疑わず従い続けた自分は、結局精神的に相当な負担を強いられていたのです。

それを癒す作業が他人から見れば「怠慢」「甘ったれてる」ふうに見えるかも知れない。

他の親と比べて酷い親だから、世間一般の人とは違うから、仕事もちゃんとできなくて当然・仕方ないと正当化しているのでは、ないのです。多分、今までずっと自分でもそう思ってしまうから「だめな奴だ」「人として失格だ」と自分を責めて苦しかったのだと思います。

 

いらないファイルは消したり、ダビングをして残したり、整理をしないと空きは作れません。こうやってダラダラしながら、色んなことをうだうだ考えてはブログに書き起こすことが、親のことで満杯だった私のメモリ(=心)の整理に繋がっているのだと思います。

空きができたら、また楽しそうなことを探してみます。