もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

誰かの「一番」に、またなりたい

※記事内で「姪」と表すのは私の姉の子で、私の母から見ると「孫」にあたります。「姪」と表現を統一しています

前記事

tari97.hatenablog.com

のつづき。

私には「姪・甥」という関係の子は、姉の娘にあたる「姪」1人しかいません。

いわば私は姪からすると「叔母」にあたりますが、難しい話も、しつけもしなくていいし「楽しいことだけ」ができる関係性が私にすごく合っています。姪から教えてもらうこともあるし、本当にいてくれてよかったなぁと、今は思います。

しかし、今のような感情を姪に対してずっと抱いていたか?というと、そうではありませんでした。

 

おそらく、姉も高圧的な母が嫌いで、それを反面教師にして自分の子どもにはものすごく優しく接しているのだと思います。なので、単純に姪が羨ましかった。心から、こんなに優しいお母さんの元に産まれたかったと思いました。

ただ、姪が乳児の頃は単純に「赤ちゃん」という存在がこんなに可愛くて愛しいものなのかと思ったけれど、だんだん成長してきた姪にいつしか私は「嫉妬」していることに気が付きました。

 

ちょうど私が母からの過干渉に悩み、母との関係が悪くなっていた頃、姪は幼稚園~小学校低学年くらいでした。その頃は母さえも姪のワガママに付き合ってあげて、溺愛でした。母からしたら、初めての孫ですし、まぁおじいちゃんおばあちゃんってそんなものですけど。

けれど、私は私で母の家来のように扱われていて

正直あの頃、私は一体何の為に生まれてきたのだろう。なぜ、姪だけがこんなに可愛がられるんだろうと、本当に嫉妬しました。悔しかった。

 

それにはもうひとつ理由があって

昔から母は「私は子どもが好きじゃない」と私たちに堂々と言っていたし「じゃあなぜ、子どもを産んだのか」の問いには「お姉ちゃんは、父さん(夫)がほしいって言ったから産んだ」「たりは、姉ちゃんが妹がほしいって言ったから産んだ」とも堂々と言っていました。

どうやら、母自身が「子どもが欲しい」と思ったことは、なかった模様(思っていたとしても、それは「自分の都合に合わせさせるため」だったのだと思う)

父も口では娘を可愛いとは言うけど感情が希薄な感じだったし(まぁ酒が一番なので)昔から何となく両親ともにあんまり子どもが「愛しい」「好きで仕方ない」みたいには感じていないことも薄々感じてはいましたが

「私は、姉に望まれて生まれてきた」ということが、幼い頃から家での自分の存在価値を確かめる材料になっていました。「姉には絶対的に愛されている」という自信が、幼い頃から私の心の救いになっていました。

だからずっと「姉のナンバー1は自分」という自信があったし「姉だけには大切にされて当然」と思っていました。けれど、姉に子どもが生まれてそのナンバー1の座を軽~く奪われてしまった訳です。

 

私に対して母は毒を吐き続け、姪にはデレデレ。

食事に行っても、姪が「おいしくない!これいらない!」と言えば「そうかぁ。おいしくないかぁ。じゃあこっち頼み直すかぁ~?こっちにするかぁ~?」…私が幼い頃にそんなこと、許されていたっけ?という感じのことも多々。

その頃、母はやたらと家族での旅行やお出掛けを企画していたけど、疎外感を感じて全然楽しくなかったし、デレデレの母の姿には白けるし、何となくついては行っていたけど、正直記憶もあまりありません。

 

父は酒が一番、母は自分が一番。頼みの綱の姉すらも、最後にはわが子が一番。

私はこの家で結局誰の一番にもなれなかった。何で生まれてきたんだろう?

その頃はずっとそう感じていました。

 

まぁ、私は幼い頃から生きる糧が「姉には大切にされている」ということだったから「お姉ちゃんがいるから」と、友達もほとんど作らずにいて、ある意味それもアブノーマルではあったとは思うし、姉の結婚や出産を機に「何でも姉を頼っててはいけない」と思い、変わろうと思うきっかけにはなったので、結果オーライなんだとは思います。

 

けれど、私はいつか、また「誰かの一番」になりたくて仕方ない。

もっともっと後でもいいから、利害関係なしで、私を一番に想ってくれる人ともう一度出会いたいな、とどうしても思ってしまいます。