もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

冗談と本気の境目がわからない

学生時代、なかなか友達になじめずにいた理由が最近何となくわかってきた気がします。

ひとつは、この記事に書いたように

tari97.hatenablog.com

異様にませていて同年代を「幼稚」と感じて距離を置いていたのが大きいと思う。

あとは、前回の記事にも書いたように

tari97.hatenablog.com

今言わなくていいようなことを言ってしまって、空気をぶち壊すみたいなことを時々、無意識にやってしまう。

 

もうひとつ、思い当たる節があります。

適度に相手を貶すみたいな冗談の言い方がわからなかったのもあるかも知れません。

と言うのも、母はどこで逆鱗に触れて大爆発するかわからない、いわば「地雷」みたいなものだったので、うっかり「貶してるように聞こえること」なんて絶対に言えなかったんですね。

たとえそれが冗談であっても、です。母に、冗談なんて通じません。

 

昔、ダウンタウンのコントで「おかん」という言葉を知り、流行り言葉みたいになって、私や姉も真似して使っていました。もちろん母本人に向かっては言わなかったけど、姉が友人と話した内容を母に伝えている時(『うちのおかんは~って友達に言った』みたいな感じで)ぽろっと外で母のことを「おかん」呼びしていることを、言ってしまったのですね。

 

どうやらそれが地雷だったようで「おかんって何じゃ、その言い方!失礼やろうが!周りみんなそんなん言うとるんか!?」と激ギレ。

もちろん『コントで言ってたある種の流行り言葉だよ』みたいに娘2人が言っても、聞く耳は持たず。

わかりやすい悪口ならともかく『え!?これが地雷だったの!?』ってことも多々あるので、まさか怒られるなんて思ってないのにめちゃくちゃ怒られた経験も数えきれないほどあり。

とにかく母の逆鱗に触れたら、それらは全て「地雷」になるのです。

 

「愛のある貶し」というか「〇〇って、そーゆうとこあるよね(でも、好きだよ)」みたいなノリって、よくあるじゃないですか。言ってみれば「おかん」だってそうなんですよね。ほんとに嫌いなら「おかん」すら言いたくないよ(笑)

 

そういう家だったからかなぁ…恥ずかしい話、友達と軽い冗談を言い合えるようになったのって、つい最近な気がします。

学生時代、そういうのを言い合っている友達を見て、不思議でした。

「それって、ただの悪口じゃない?」「言われた方も、腹立たないの?」と、一人でハラハラして。

短大に入ると、もっと開放的になるような感じがあって、皆が更にざっくばらんにそういうのを言える雰囲気がありました。周りの会話を聞いて更に「こういう風に言っても、気を悪くしないんだ」「そういう言い方だと、感じ悪くないのか」などと、思いながら技を盗んでいました(そもそも、母みたいな地雷人間が学校にそうそういる訳ないのにw)

 

大人になって、何年も仲良くしてくれているRちゃんは、気配り上手で物知りで、すごく尊敬できるのですが、唯一、遅刻魔なんです(笑)けど、私はそこは特に気になりません。

本人も自覚があって「いつもごめんw」みたいな感じなのですが、ある日結構朝早くからお店に並ぼうということになったのです。

整理券配布で、誰か1人が人数分の受付を済ませたらOKなので、私が行くって言ったのですがRちゃんも「私もその時間に行く」と言うので『無理しなくていいよ!(笑)』みたいに返したんですね。それでも「行ける」と言うので『あんまり信憑性ないけど、信じていい?ww』みたいに返したとき『やっぱりこれは言い過ぎたかな』と心配になったのです(だから、母みたいな地雷人間じゃないんだって)

もちろん、実際待ち合わせしたときも「最近私も遅刻しなくなったでしょ(笑)」と笑っていて、あぁこの感じだ。と思いました。

高校や短大の頃に、皆が軽くやっているのに、聞くだけでハラハラして、やり方や度合いがわからず羨ましく感じていたあの雰囲気。

 

これって、楽しいね(と30代も半ばの女が感激しています)