もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

考えすぎのモヤモヤ。思考のクセがすごい②

前の記事に書いたみたいなことは、Nとはわりとよくあるのですが

tari97.hatenablog.com

そういうことをされると、だんだん

『やっぱり私って、ナメられてんだろうな』みたいな気になってしまうのがすごく嫌なんですよね。

明らかにNに悪気がないのがわかっていても

『どうせ相手が私だからと思ってやったんだろ』とか『ほかのもっと仲良しな子には、そんなことしないんだろ』とか、卑屈に思ってしまって

どんどんエスカレートして

そんなだったらもういいわ。こっちで勝手に何とかするから、そっちも自分で何とかしたら?てか(初めに決めてたのが)どうせ嫌だったんだろ?ならハッキリそう言えよ…

とかまで思っちゃうんですよね…(ちょっと病気だよなぁ…w)

もちろん口には出さないけど、ソフトな言い回しに変換して、ぶちまけてしまおうかなと、毎回悩みます。

 

Nが意地悪でやっている訳ではないのもわかっているし、そもそもそんなこと言われたわけでもないのに(笑)

 

Nには失礼な言い方ですが、そんな感じでボケーっと生きてきても支障がなかっただけなんだ、Nに罪はないんだ。だからもちろん、相手見てやってる訳でもないんだ、と言い聞かせているのだけど。

結局、ちょっとしたミスや勘違いがあっても、うちみたいに叱責を受けるようなおうちじゃなかったんだろうなぁ。

なったらなったときの話、まぁ大丈夫でしょ。と家族全員がそんなノリで暮らしていたのだろうなぁ(この記事で書いたおうちみたいな)

 

きっちりしなさい!と、母に怒鳴られ急き立てられ、何事もミスは許されない!みたいな思考が染み付いてしまっている私。

一方手を抜いた私よりももっといい加減なのがデフォルトのN。けれど、重大なトラブルに発展することもなく、Nはいつも何となく楽しそう。

 

なんだか、とっても損をした気分にもなり、何とも言えない気分になります。

Nへの『羨ましい』気持ちがあるのも自覚しています。だから、そこまでひねくれた思想になるのもわかっているのだけど。

そういう、自分の卑屈なところが本当に嫌なんです。

これが、前回書いたモヤモヤの正体なんです。

ほんと、めんどくさいですよね(笑)

 

 

ちょっとした勘違いとかミスなんて、誰でもあると思う。

けれどうちでは「そっか、勘違いだったか~」「ごめん、間違えてた~」では済まなかった。

だから、Nに対してそういう一言を自然に口から出すのに相当な労力が必要なんです。

悔しい

羨ましい

やっぱり、どうしてもそういう考えが抜けない。

 

Nには友達で居てほしいし、居てほしいからこそ、深く考えてしまう。

 

この思考のクセはどうすれば直るのでしょう…。

直るまでいかなくとも、もう少し薄めることはできないのか。

 

けれど、そんなNのすごいなと思うところは

そういうことがあって、こっちが開き直って軽く『ごめんね~(てへぺろ)』でも、全然怒ってないのよね。

そりゃそうか、、家でそこまで激高する人、いないんだもんなぁ(と、また卑屈になる)