もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

あけましておめでとうございます🎍

実家を出てから、毎年お正月らしいことをせず引きこもっております。

と言うか、この時期になると普段の鼻炎がなぜか悪化し、風邪なのか何なのか訳わからない感じになるので今年もおとなしく過ごしています。

 

お正月のエピソードでは色々と辛い思いをされている毒親育ちの方も多いようですが、私の家は元々あまり親戚付き合いが濃くなかったので、さっき「実家を出てから」とは言ったものの、幼い頃もたいして正月らしいことはしてなかったな(笑)

 

両親はとにかく出不精だったので、年明けすぐはどこも出掛けなかったですが、たまに母の兄の家に行く風習はありました。

こちらの記事に書いた母の実兄「D」の家です。

tari97.hatenablog.com

友達の話を聞くと、親戚やおばあちゃん等の家に行くのを楽しみにしているようでしたが、私はD家に行くのが毎度億劫でした。Dは、母よりも偉そうにふんぞり返ってものを言うタイプの人だったので、発言一つひとつにめちゃくちゃ緊張するんです。

で、何か喋ると何て言うかな…あれがDなりの可愛がり方なんだろうけど、イジるみたいな笑いに変えるので、、正直全然楽しくなかったし。

 

母も母で「アニキ嫌いや」と言いながら、体裁を保つため「兄の家には顔を出さなければ」と思ってたんでしょうね。

帰ってきてはDやDの嫁のマスミの悪口を言うし『そんなに嫌なら行かなきゃいいのにw』と内心思っていました。

こういう訳のわからない毒親の「ねばならない」のせいで、また親が不機嫌になって、そのシワ寄せが子どもに来てたんだよなぁと思い知らされます。

 

ある時から私が『D家に行きたくない』と言ったとき、何回かは渋られたものの、高校生くらいになってからかな?その頃からは母は快諾でした。

その理由も母らしくて

私が一番年下なため最後までお年玉をもらっていたので、いい歳になってきたら「アンタが来たら皆お年玉くれて、私もあげないとあかんから、来なくていい」と言われたのです(一応母も他の子どもにお年玉の準備はしていくのだけど一番若い私が居ないと、お年玉タイムもうやむやになって、あげずに帰って来れるそう)

ちなみに姉は時給が上がるので学生時代から年末年始もバイトに精を出していましたが、守銭奴の母としてはそれも高評価だったよう。

「正月くらい、休みなさい」とか、聞いたことないです。さすが、金のことになると親戚にいい顔することより優先なんだな。まぁ、それで救われたこともあるからそれはよかったかな。

 

お正月、毒親育ちの方が、嫌~な時間を過ごしていたら…いつかいまの私のようにぬるっとしたお正月を暮らせたらいいな、、それを目指している方も、2018年は何か動けるといいな~と感じます。

 

今年もよろしくお願い致します🤗