もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母の異常なまでのキレ方をわからない人向けに説明してみる

母は何かと不機嫌で、さっきまでニコニコしてたのに何が地雷かもよくわからないまま、爆発が起きることも多々ありました。

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⇧の「おかんの話」も含め、今までにもそういう記事はいくつか書きましたが、何であんなに不機嫌で、怒らないと生きてけなかったんだろう?と最近ずっと考えます。

 

元々、母は幼い頃から家族の中でみそっかすみたいに扱われてきたこと、実家が貧乏だったこと、夫と歳が離れていること等でコンプレックスのかたまりだったため、いつでも「ナメんなよ!」みたいな気でいたのが「不機嫌」の元だったのかな、と、それは何となくわかってきました。

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ただ、家族の悪気のない軽い失敗も必要以上になじるところがあり、家族が嫌いな訳でもないのに、なぜあんなに人格を否定するくらいのレベルで家族にも怒っていたのか?と考えた時に、いい表現かも?と思ったのがあるので、ご紹介します。

 

とにかく、どんな小さな失敗でも、語尾に「死ぬ!」がつくイメージをしてみてください。

 

例えば

子どもが不注意でジュースをこぼしたら「死ぬ!

作り置きしていたごはんを家族が知らずにちょっと食べてしまったら「死ぬ!

返ってきたお釣りが数円足りなかったら「死ぬ!

…こんな感じでしょうか。

 

もし、世の中の人が、このくらいの失敗でも「その失敗に遭遇したらあなたは死にます」と言われたら、母と同じレベルでジュースをこぼす子どもに怒るだろうし、ごはんを知らずに食べた家族にも怒鳴り散らして、レジの店員を殴るかも知れません。

 

全部、取り返しのつくことだし、順を追ってきちんと口で説明したら解決します。

そんなことすらも、母にはわからなかったのか、できる余裕がなかったのか。

それくらい、どんなに小さなことでも母にとっては「死ぬ」ほどのことだと感じるので、失敗した張本人を気が済むまでなじらないと、正気を保てなかったのではないかな?と、思っています。

んなアホな…と思った方。それが正常です。

 

こういうことを考えてて、またあれも「死ぬ」くらいの勢いで怒られたなぁというエピソードをひとつ。

 

昔から時々、家族旅行には連れて行ってもらっていましたが、大体がよくある和室の宿でした。

まだ記憶も曖昧なくらいの時なのでかなり幼い時ですが、その時の旅館の冷蔵庫が、ビールやジュースを取り出すと、料金が加算される方式のもので見慣れない旅館の部屋にテンションが上がった子どもは色々見て回りますね。

それで、私は何も思わず冷蔵庫のジュースの瓶を取り出してしまったのです。

もちろん、そんな方式の冷蔵庫が存在するなど、わかる年齢でもありません。

そして、割高な部屋のジュースなんか絶対に飲む気はないあの母のことですから「飲んでもないジュース代取られたら、死ぬ!」だったのでしょう。

 

その旅行の記憶は、部屋につくなり母にそのことでボロクソに怒られた場面と、チェックアウトの時に「あのぉ、ジュース、子どもが知らずに出してしまったんですけどぉ…飲んでないので…よかったら確認してもらえたら~」とまた母の芝居がかったセリフに

確認もなく「あ、そーですか。じゃあつけないでおきますねぇ」とフロントの人が言って『よかった…』と思いながら、旅館を後にした場面、その2つだけです。

 

ちなみに、その時はもう母は上機嫌で(飲んでないジュース代も請求されなかったしね)「たり、あんなに怒らなくてよかったね。ごめんね」とかのフォローなんかもあるはずもなく(このフォローさえあれば、もう少しトラウマは軽減されてたかも)

 

私、あんなに怒られなきゃならんかったか?とモヤモヤしながらも今後、絶対に旅館の冷蔵庫は開けないと、幼心ながらに誓いました。

その後、何度か家族旅行で似たような旅館に行っても、冷蔵庫の扉に触れることさえ、怖かったな。

 

そういう『次からは気をつけなければ、お母さんに怒られる』ということが、もう既に4歳5歳くらいから自分の「気をつけることリスト」にどんどんどんどん載っていく訳で

 

すると、旅行もイベントも何でもかんでも『あれはアカン』『これに注意』ばかりで動くので「心から楽しむ」なんて、できる訳ないですよね。

 

学校の行事も他のイベントも、楽しいどころか疲れるだけだし 

そりゃいい歳になっても生きづらいわな。