もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

愛があれば???

母は、確かに家族の為に色々やってくれたことはわかるのですが、いかんせん表現方法に問題があったので

私はどうしてもそういうところが好きになれませんでした。

昨日、実家でも少し話してて気が付きましたが

tari97.hatenablog.com

母の頭の中では

愛情をかけて一生懸命やった=少々の傲慢な態度は見逃して貰えるだろう=娘にも嫌われるはずがない

みたいな感じで、イコールで繋がってしまっているんだなと思います。

 

だから、いつまでたっても「あれだけやったのに」みたいな気が抜けずに

傲慢な態度だったかも知れないけど=愛情をかけて一生懸命やったから=そこまで嫌われる程のことでもないんじゃないか

って思うんだと思います。

(私が何度伝えても、=では繋がったまんまで、順番が変わる程度なんでしょうね)

からしたら「愛情をかけて一生懸命やったとしても、あそこまで傲慢な態度取られたら、さすがの娘でも嫌いになりますよ」なんですけど。

 

多分、この母の勝手なイコールの鎖がほどけない限り、わかり合えることはないと思うし

多分母の中で鎖がほどけることはないと思います。

 

この原理で言うと

愛情をかけて一生懸命やった=少々殴ってもいいでしょ

愛情をかけて一生懸命やった=子どもの容姿貶すぐらい許されるでしょ

ってことか?って話だし

それは違うだろと思うのです。

 

母はどうしても「愛情をもってやってた事実」だけを認めて貰いたがりますが

表現方法にまずさがあったら、伝わるものも伝わらないし

相手が嫌な思いをした部分があったなら、そこは改めるべきでしょ

と私は言いたいのです。

 

「でもやった!あれだけやった!」なので(苦笑) 

娘本人が『偉そうな態度が嫌だった』と面と向かって言っても「でもでもだって」ですからね。

 

 

すごく素晴らしい研究をしたけど、それを発表する方法がまずいとか

すごくいい曲をつくったけど、心に響くような演奏ではないとか

それを「でも、研究内容はいいでしょ!頑張ったから!」「でも、いい曲でしょ!時間かかったもん!」って、自分で言ってるようなものです。

いいと思うかどうかは、他人が判断することであって、自分で言うことじゃないと思うのです。

頑張ろうが、時間かかろうが、いいなと思わなかった受け手からしたら「知らんがな」なのです。

(中には「うん、内容いいから好きだよ」と言う人もいるとは思います)

 

私は「母の表現方法は大嫌いだった」ということです。

その「表現方法のまずさ」が「愛情をかけて一生懸命やったこと」より勝ってしまっただけの話。

 

母の「愛情があった」と言うのは、所詮「やった側」の勝手な目線であって

結局、された相手が嫌と感じた時点で、伝わってないに等しいと思う。

これは、前に書いた「セクハラに似ている」の件と同じ。

tari97.hatenablog.com

伝え方に問題があって伝わらないとか、子どもが嫌な思いをしていたなら、それも含め親の力不足だと言わざるを得ないと、私は思います。

 

『嫌だな』と感じた事実があるのに、目に見えない「愛情」を「これくらいしたから」と、評価を求めることもまた、傲慢だなぁと思います。