母の嫌いだったところで、私が家に友人を連れて行ったりしても、自分の機嫌が悪かったり何かが気に入らないとせっかくの友人との時間をぶち壊す というのもあります。
毒親あるあるですかね?
実家は交通の便が悪くあまり友達を呼ぶこともなかったですが、たまには私の家で遊ぼうということもありました。
ただ、ちょっと盛り上がってうるさくしてしまったり、私の部屋は2階なので何かを落として下に響いたりすると、リアルタイムで母が下から怒鳴ってきたり、部屋に入ってくるんです。
今思えば、何でそんなヒヤヒヤしないといけないのに友達を呼んでたのかな?とも思うんですけど。まぁ、当時は今ほど娯楽施設もお金もなかったですしね。
確かに、うるさいとか不快なのもわかるんです。
ただ、怒鳴ったり怒ったりは友達が帰ってからでよくない?とずっと思ってました。
高校~短大時代によく友達を連れて来てたけど、母は時々そうやって友達が「何、このお母さんw」と引くような絡みをしてくるし
ちょうどそのあたりに自分の母がおかしいんじゃないか?ってことにも薄々気付き始めてた時なので、恥ずかしいなぁとずっと思っていました。それでも、親がおかしいってなかなか認めたくないし、他の家の子がやってることを自分も同じようにやりたい(友達を気軽に招きたい)とも思ってしまうんですよね、子どもって。
仲の良い友達は、だんだん「たりのお母さんはこんな感じ」というのがわかって、扱いを覚えてはくれていたのですが
どんどん母の私への干渉が酷くなってきた頃は、友達が遊びに来てても、お構いなしに私を呼び付けて、家事をやれとか言い出すようになったのです。
私も急に連れてきた訳ではないし『〇日から〇日、〇〇ちゃんが泊まりに来るけどいい?』と、必ず母の承諾を得てから来てもらっていました。
なので、その間は私は「来客中」のはずなのにいつも通りの家事(食事以外全部)やれって言うんです。
結局、私が家事をしている間、私の部屋に友達がほったらかしの状態になってしまい何のために泊まりに来てるかわからなくなったので、実家に泊まりに来てもらうのはやめました。
口では「〇〇ちゃん来るんやね♪」と楽しみにしている感じなのに、いざ来たら何かめんどくさそうと言うか、嫌々おもてなししている感も好きではありませんでした。
母はいつも何となく外部の人やものを拒絶する感じがあったし、家は自分の一生を掛けた「聖域」みたいなものだったのでしょう。
何となく「他人に立ち入られるのを嫌っている感」は、幼い頃から感じていました。
こういったことは数えきれないほどあるし、姉もそういうこと何回もあったと時々盛り上がるのですが
私が友達関係で人生で一番嫌だったエピソードが、中2の夏休みのことです。
夕方から友達含め4人で花火をしてちょっと遅くなってしまって、私の家が一番遠かったのであとの3人が申し訳ないからと私の家まで送ってくれたのです(もちろん携帯は持っていません。電話しないとやばいかな?とは思いましたが公衆電話までもすごい遠かった)
すると、カンカンに怒った母が玄関先に出てきて「待て!待たんかい!」と3人を引き留め、思い出すだけでも恥ずかしいですが、30分くらい家の前で説教されました。
私は『うわ、怒られる!始まる!』と察知したので『遅くなったから、3人が送ってくれてん。3人共は家が近いから、心配ない』と先に説明しても、もうそのモードに入っている母には聞こえず(内心、聞こえないふりしてみんな帰らせたらよかった…!と悔やみました)
心配だったのはわかるんですよ。
ただ、結局そこで30分ほども足止めをくらうと、この子たちがもっと遅くなるとか、「たりのとこのおかん、頭おかしくね?」みたいに思われて、私の顔が潰れるとかは、全く考えなかったのかなぁ。
もう、母があのモードに入ると何言っても聞こえないんですね。
今思うと、病気ちゃうか?と本気で思います。
「私がアカン言うたらアカンのじゃ!」
母のこの理論、大嫌いだし、何事も『言い方ってもんがあるでしょ』と。
「今何時や思とんじゃ!」と怒鳴り散らす姿は、まるでヤ〇ザのよう…
好意で送ってくれた友人にも、その後合わせる顔がありませんでした。
怒り狂う母を見て、友人たちが固まっていた光景…今でも忘れません。