もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

もう一人の自分

前に書いた、幼少期の「現実の嫌なことをやらなくていい自分と、やらないといけない自分」の感覚はいつしか消えました。

tari97.hatenablog.com

じゃあ「もう一人の自分」は消えたのか?というとそうではなく、大人になってからは恋愛関係で「もう一人の自分」が、よく出てくるようになりました。

 

 

一時期、異性と深い関係になればなるほど「何やってるの?」と冷めた「もう一人の自分」に見張られている気がして、どうも恋愛にのめり込めない時期がありました。

異性といると「もう一人の自分」がそばで見ているようで、特に体の関係を持つのが苦手でした。

 

けれど異様な自己肯定感の低さから、お金か体かぐらい差し出さなければ私に何の価値が?と本気で思っていたので(今でもちょっと思う)

金でどうこうできない私は体の関係を持つことで異性を繋ぎとめておこうという傾向もありました。

体の関係を持たないと価値はないと思うのに、いざそうなると「もう一人の自分」がそばで「何やってるの?」と見ているようで苦しいんです。

アレルギーだとわかってるものを食べて、苦しんでいるようなものです (笑)

男性から酷いことをされたとかではなく、恋愛が苦手になったのはこれが原因だと思います。

 

で、恋愛がしんどいことに嫌気がさした頃にもう一人の冷めた自分を唯一消せる方法を覚えたのがアイドル依存でした。

ライブ中は、頭が空っぽになって、今自分の見ているもの・聴いているものが世界の全て!みたいになる感覚がとにかく楽しかった。

ライブ中には「もう一人の自分」はどっか行っちゃうんです。

ただ、ライブという魔法は2時間半ほどで解けてしまいます。

終わるとまた、冷めた「もう一人の自分」が出てきます。

 

下の記事にも書きましたが、こんな感じで一見キャーキャー言って楽しそうでも、健全な精神状態ではなかったなとは自覚しています(笑)

tari97.hatenablog.com

 

 

現在も含め、大人になってからの冷めた「もう一人の自分」は、何かと「ツッコミを入れてくる」みたいな感じです。

私の頭の中ではいつも一人ですごい冷静な「漫才のような掛け合い」が繰り広げられている、そんな感じ。

 

けれど、そういうすごく冷めた「もう一人の自分」が、ある意味自分を救っているのかも?と思う時があります。

 

私はふとした瞬間に、消えていなくなりたいと思うことが多々あります。

具体的にこうやって死のうかとか、そういうことではなくて

『こんな人生だったらいっそのこと時間を巻き戻して、産まれたことをなかったことにしてほしい』みたいな感じ。

 

実際、ビビりな私は自殺未遂とかそういう類のことはしたことはないし、自己を破壊する行為も怖いのでしたことはありません。

それに加え『死んだところでどうするの?』という冷めた(良く言えば冷静な)もう一人の自分からのツッコミが入るので『ですよね』で「消えていなくなりたい願望」は、完結するんです(ただそれを何度も繰り返しているw)

 

アイドルに依存していた時代は、2時間半の魔法に全身全霊で挑み、日常は死んだように暮らしていました。

今は、その魔法にかかりに行かなくてもいいくらい、マイルドに生きることが目標です。

ブログもそのための作業であって

どうせ生きて行くなら、ゆるりと生きようと思って、色々考えているだけです。

 

生きたい!というキラキラした希望があるのか?と問われれば、答えはNOです。

『どうせ生きるなら』という精神で過ごしているだけ…別に死にたくもないけど、生きたくもないみたいな感じ。

 

そんな感じでしか結局生きられないのは、やっぱり「もう一人の自分」のせいなのかな?

「もう一人の自分」の消し方はどうやってやるのだろう??

一生、付き合うしかないのかな🙄