もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ナメてるのはどっち?

前も書いたように、わざわざ、娘が機嫌よく勤めている通勤手段を貶してみたり

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他にも嫌いだったのが、自分が嫌いなものを人がおいしそうに食べていたらわざわざ食べている人の前で「よくそんなもん食べるわ」とか言うんですよね。顔をしかめて。

他人が気持ちよく過ごしているのが、自分の趣味嗜好に合わないことだととにかく貶さないと気が済まないようです。

 

そうやって何でも「自分の嫌いな物事」をそれ自体を貶すにとどまらず、それが好きな人へも「私は嫌い」アピールをわざわざやるから一緒にいて不快なんだと気が付きました。

幼い頃は親の言うことは絶対と思うし、貶された時点で『母の嫌いなものを好きって言う自分』にすら罪悪感を抱いていました。

人の好き嫌いなんて(いい意味で)どうでもいいし、趣味嗜好なんて違って当然ですけど…なぜ母は「自分と違う」ものを真っ向から貶さないと気が済まないのでしょう。

 

その割に、逆のことをされたら母は怒るんですよね。

「お母さんな、これ大好きやねん!」「変わってるやろ、私」みたいなのを存分にアピールして(かまってちゃん発動)腹立つので私も母みたいに『よくそんなもん食べるわ』と言い返したら「フンッ!ほっといて」「あんたにそんなこと言われたないわ!」です。

『そうだね、お母さんそれ好きだったもんね~』という返しをしてほしかったのかと気付いたのはつい最近です。まぁ気付いてもしませんけど。

 

母は昔から、他人に「ナメられる」「見下げられる」ということを異様に嫌がっていました。

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食に異様なこだわりのある母は、私が給食や修学旅行先の食事がまずかったという話をした時だけ「子どもやと思って、ナメてるんやろな!」とやたら怒りましたが、その他の自分に興味のないことは何かが理不尽だとか心の叫びを訴えても「まぁそんなもんやから我慢せぇ」って感じでした。

 

要は母がナメてる・ナメてないとジャッジするのもめちゃくちゃ母基準で自分都合なんですよね。

 

だから母の言動も今思い返してみたら「子どもには、何言ってもOK(言われた子どもは、我慢せぇ)」って思想の上でのことだったんだなと合点が行きます。

子どものことは総じて「ナメてた」んだなということです。

 

最近、姉と話していて、姉が母のことを「だめだこりゃ」と思った発言を聞きました(言われれば確かに言ってたなとは思いましたが、姉と私では不快に感じたポイントが少しずつ違っていて、おもしろいなぁと思います)

 

で、その発言というのが「なんで親が子どもに気を遣わなあかんの?」らしいです。

 

やっぱり、子どもだと思ってナメてますよね。