もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

存在自体がトラウマなんです

私は今何か頼まれない限り、自発的に実家には行きません。

 

けれど、姉はそこまで嫌っていないのか?長女としての責任か?

何かと実家に顔を出すところが、すごいなぁと常々思います。

(私は車がないですが、距離にすると私の家の方が実家に近いです)

 

姉も、母が毒親だったことは認めているし、私ほど嫌っていないにしても母が好きではないのは明確ですが

それでも何だかんだ母には色々としてあげていて、私はそれにだいぶ甘えている自覚もあります(姉が顔出すなら、私は行かなくていっか!とか)

 

けれど、未だにここまで異様に母と会うことへの嫌悪感を抱くのって、大人げないのでは?とも感じて、姉に無理をさせてはいないか?と不安にもなります。

で、この間姉と話をすると、姉は母と絡むという「精神的なこと」よりも「物理的なこと」(特に夕方とか忙しい時に呼ばれること)のほうが大変そうに感じました(確かに姉は子どもがいるし家事もしないといけなくて、独身の私のほうが姉よりも時間的余裕があるのも大きいですが)

 

 

母は私と姉とで比べてどちらが良い悪いなどは言ったことはありませんでしたが

「合う・合わない」で言うと、圧倒的に母と私は合わなかったのだと思います。

 

それで最近気がついたのですが、母への対応スキルが、姉には昔からあったなぁと。

姉は多分母が求めているであろう返しが昔から自然と出るタイプなのです。

母のことが嫌いになった今でも、構うのとスルーの塩梅が絶妙で、それを気張らなくてもできるようで、だから精神的な苦痛が私ほどないのかも知れません。

 

私は私で母の言動にいちいち引っかかるし、うまい返しが未だにわかりません。

大体母と2人で会うのは避けているので、返すのだるいなと思ったら姉に丸投げします。

 

確かに私も『母のことが嫌い』と思い始めた頃から、言い返さないと気が済まなくて、かなり母に反抗的な態度を取っていたので

このブログを読んでると「たりもたりだわ」と感じる部分もあると思います。

 

さすがにもうわざわざ母に反抗的な態度を取ることはないですが

反抗的な態度でもなく、悪気なく言ったことでもどうも私の発言は母親にはフィットしない感じが昔からありました。

 

大人になってから長年、それを母から「お母さんに合わせられないたりが悪い」と言われ続けてきたことが、異様な息苦しさ、自己肯定感のなさや『私は間違えているのだろうか。では私は一体どうすれば良いのだろうか』と悶々として、逃げ道を探し続けては堂々巡りをした原因なんだな、と、わかってきました(この場合の「悪い」は「姉と比べて」ではなく、とにかく母の言う通りにできない「たりが単体で悪い」という意味です)

 

20数年、その性格で生きてきた娘に「お母さんに合うように、性格直しなさい」みたいなことを様々言葉を変えて言われ続けていましたが

今思うとそんなの「ありのままで生きるな」と言うようなもので

「死ね」と言っているのと同じくらい酷です(笑)

 

例えてみると

毎日、苦手な食べ物を子どもの口に無理やり詰め「ほら、好きになりなさい」と、強要するようなものです。

母としてはそれが「体に良いから」という意味と等しかったのでしょうが(=実家にいたら、万事が安泰なんだから)

体に良いものでも、苦手なものを毎日食べることを強要されたらどうでしょう。

 

味付けを変えるとか、他の料理にわからないように混ぜるとか方法はいくつでもあるのだけど

母は「とりあえず食え。いいから食え」と、口に押し込み続け、いつか私が『あ~おいしい。これ大好き!』(あ~やっぱり実家が一番!お母さん大好き!)となるとでも思っていたのでしょうか??

 

こうやって考えたら、苦手なのに口に毎日押し込まれたものを、いい大人になっても食べられないのと同じで

「母と2人で会うこと」にいい大人がいつまでも嫌悪感を抱くのも、まぁおかしい話ではないかな、と思ったりもします。

 

きっと「見るのも嫌」という嫌いな食べ物と同じくらい

「母親」という存在自体が、私の中でトラウマなんだと思います。