母は、貧しく、家庭でも「みそっかす」のような幼少期を過ごしたため
結婚してから夫に大切にされること・きれいな家に住めること・おいしいものが食べられることがこの上ない幸福だったようです。
「死にたい」と思った幼少期から一転、結婚後「生きてて良かった」と思ったそう。
幼少期、叶わなかった思いを、夫にもう一度叶えてもらうことで、心を満たそうとしたのだなと思います。
やがて私たちが生まれる訳ですが
母が姉や私につらく当たっていたのは、おそらく「嫉妬心」も大きく関係しているのではないかと思っています。
貧しかった母は、自分の子に貧しい思いだけはさせまいと思って生きてきたのでしょうが
悔しい!当然と思うなよ!
という気持ちも、抜けなかったのでしょう。
母が生まれた、戦後の復興期から、姉や私の生まれた昭和後期まで20数年が過ぎ、余程のことがない限り「明日食う飯もない」ような時代はすでに終わっていました。
母が結婚してからの「夢のよう」と感じたのと同じ水準の生活が、私たちには「生まれながらにしてあった」訳です。
自分はあんなに目もあてられないくらいの幼少期を死にたい思いで過ごしたのに
子どもたちは何の苦労もせずにおいしいごはんを食べられ、蛇口をひねればお湯が出、きれいな服を着させてもらっている。
確かに、複雑な気持ちになるのはわかります。
それで言うと、私も今20歳くらい離れた姪を羨ましいと思うこともあります。
スマホやパソコンが当たり前にあること。
ネットで買い物できること。
中高生にも買える「プチプラ」な服やコスメがあること。
ネカフェや安くで満腹になれる飲食店の種類がたくさんあること。
私の頃は、中学で「ポケベル」が関の山で、高校になってやっと「PHS」
ネットショッピングがなく「通販」がいいところなので
ほしいものがあっても、どこに売っているのかすらすぐに調べられないし
自分の足で現地まで出向き手に入れるしかありませんでした。
安くてそれなりにトレンドをおさえた服屋も今みたいにたくさんないので
おしゃれしたい小中学生くらいの頃は服選びにも苦労しました。
友達や彼氏と個室で遊ぶなら、互いの家かカラオケくらいしかないし
安い飲食店と言えばファストフードかファミレス。
姉が大学に入った頃からバイトで稼いだお金をそれなりに持っていたので、流行りものを色々買ってもらっていました(先ほどのポケベルやPHSも)
そのおかげか、あれ欲しいこれ欲しいただ金がないという鬱々とした気分は、あまり持たずに過ごしましたが
それでも、結構田舎なのと足がないせいで、毎日暇を持て余していました。
あの頃にスマホやネットがあればなぁと心底思います。
姉ともよく「姪ちゃんはいいね、娯楽がたくさんあって」という話もするし
私らの時代なんて…と度々『あったあったw』みたいな話で盛り上がります。
これは同年代の友達にも共通します。
ただ、そこで姪に『スマホやネットあるのが当たり前やと思うなよ』と言うのは違いますよね。
母はそれと同じことを私たちにしていたような気がします。
そんなこと姪は言われても、生まれた時代が「今」なんだから「知らんがな」なのです。
母の
自分と娘が「違う時代を生きている」ことの線引きができなかったこと
若かりし頃のことを分かち合う人がいなかったこと(友達ゼロ、夫は一回り以上年上)
が、
・ 娘の意向を認めず、自分の成功体験の枠に娘もあてはめようとする
・ 自分の苦労を娘にわからせようとする(理解できないことを怒る)
・ 何でもかんでも家族に聞いてもらい同調を求め、それでストレスを発散する
ことに繋がったのではないかなと思います。
母は、結婚した理由を「新しい保護者が欲しかったから」と言っていました(この「保護者」とは「精神面」で、という意味です)
夫の死後は、私を次の保護者にするつもりだったのでしょう。
結婚してよかった!毎日楽しい!でとどまらず、その幸せを分け与えるどころか
「なんでお前らは当たり前みたいな顔してメシ食ってんねん」
そんなふうにしか思えないほどのトラウマを植え付けた母の両親にも問題はあると思うし
「まぁあんな時代だけど、良いこともあった」と笑えないほど酷い幼少期であったことは気の毒に思いますけど(私は何だかんだ、アナログだった時代もそれなりに楽しかったと思うので、現代を生きる若い子に「嫉妬」の気持ちはありません)
そのトラウマの面倒までも私が請け負う責任はないと思っています。