日々、母と暮らしていた頃よりかは格段に気持ち良く暮らせているのですが
どうしても職場で『どう思われてるかな』『何か言われてないかな』と気になってしまうのだけが、しんどいです。
嫌なことからはとことん逃げる選択をしてきた私ですが
「働く」ということからは逃げられないので、今後もずっと、どこで何の職に就いてもこういう気持ちでしか働けないのかなと思うと気が滅入ります。
幼い頃から確かに異様に人目を気にする性分ではありましたが、社会人になってから年々酷くなっている気がします。
一体いつからこんな風になってしまったのだろう?
前回の記事の、職場でカッとなったことを詳しく考えてみると
「変な編集しないで」とか「余計な事しないで」と実際言われたならともかく
ただ、私が編集したものを見ながらあーだこーだ言われているのを聞くだけで
「たりさんが編集するといつもおかしくなってる」「余計な事してる」というニュアンスに聞こえてきて
その時『何?私が悪いの?』とどうしても思ってしまい
『言われたことをやっただけなのに!』と、反発心が生まれるのでした。
前に母の発言を聞いていて「責任の所在を自分にしたくない」感じがわかり
私が仕事を辞めたり、おかしな道に進むことを心配したのは「子育てを失敗したと思われたくない」から
父がいなくなった時も「変な死に方されたら若い妻である自分が疑われる」から
と、とにかく母はいつも「自分の責任」になることを異様に嫌がっていたことがわかってきました。
そしてその母を私は『自分が一番可愛かったんだな』と、今ものすごく拒絶してしまっています。
ですが多分、今私も母と同じことをしていると思います。
おそらく私も『自分のせいにされるのが怖い』
これがカッとなって、感情を抑えきれなくなる原因のような気がします。
怖いから、防衛反応で態度がきつくなるのだと思います。
思い起こせば学生時代から「これ、誰がやったの?」みたいな雰囲気になった時に「誰がやったか」はどうでも良かったのですが、自分じゃない場合『私じゃない』という主張を私は、異様にしていた記憶があります。
学校で何かしてしまった時『怒られる!』と思ったら『どう言い訳しようか』『どう切り抜けようか』ばかり考え、怒られることへの恐怖のあまり『私は知りません』と言い張り、先生の呼び出しにも応じず逃げ帰ったこともあります。
とにかく誰が相手でも怒られることが『怖くて仕方なかった』のです。
実際に怒られなかったとしても『怒られるかも』と思っている時点での恐怖が、きっと相当なトラウマになっているのだと思うし
結局大人になった今でも、未だにそれが残っていて、怒りに変えて表現してしまっているのだと思います。
イライラ(=恐怖)のスイッチが入った時の感情は、正直自分でもコントロールできません。
それを外部に「表現すること」(きつい言い方や、怒る等)は、昔は私もやっていましたが、母を見て『みっともない』という思いから抑えられるようにはなりました(漏れ出てはいるけど)
けれど、心の中は結局何も変わっていなくて
むしろ抑えている分、いつか爆発しそうで怖いです。
(TVの田房さんの再現Vを見て、程度は違えど明日は我が身かも…と感じました)
未だに私は『怒られる』こと、『怒られるかもしれない』ということに相当な恐怖がある。
けれど、冷静に考えたら、今後生きてて昔の母みたいに、狂ったような叱責を受けることなんて多分ないです。
そんなこと、頭ではわかるのですが、こればかりは自分ではなかなか何とかできる気がしなくなってきました。
今、カウンセリングに行くことも視野に入れています。