もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親戚の毒エピソード

私は、父方の親戚とは会ったことがないので、祖父・祖母・伯父・伯母と名のつく人は「母方」の人たちしか知りません。

 

母の実の兄「D」も毒っぽいと何度か触れましたが、母方のきょうだいは皆タイプの違う毒性があったなと最近思います。

 

幼い頃から目にしていた「親戚」像は、きょうだい間で「相手より優れているか?」を比べ合って、お互い貶してなんぼだったので

それが普通だと思っていました。

tari97.hatenablog.com

 

だから、母方の親戚で集まった時の様子を見て、結婚して親戚が増えたら、またこんなくだらんことしなきゃならんのかと思ったのも、結婚願望が薄れた原因の1つだと思います(今は、母方の一族がおかしかっただけなのがわかったので、思いませんが)

 

 

Dも母にそっくりで「自分が一番」「偉そうに言う」感じが嫌いでした。

私は昔から母が怖かったけど、その母でさえもDと会う時は気を遣っているのがわかったので、Dに会う時は更に委縮していたことを思い出します(Dの前でくだらないことを言ってDの機嫌を損ねたりすると、帰ってから私が「アニキの前であんなこと言うな」と、母に怒られるので)

 

はえげつない愚痴や悪口などを私や姉が幼い頃から平気で言っていましたが、Dはその母の何倍もきついことを言います。

 

母も「アニキはきついこと言い過ぎや」といつも言っていて

そんなDの名言(迷言)を今回は書こうと思います。

 

Dには息子1人と娘2人がいて、姉にあたる「E」は、美人で愛嬌もあって、男性にモテそうなタイプでした。

妹より、実際モテてもいたのでしょう。

ただ、Dは「チャラチャラしている女性」が嫌いなようで、Eよりも地味な妹の方が好きみたいでした(私はEがチャラチャラしてるようには見えなかったけど)

 

ある時、そんなEのことを「あいつはチャラチャラしてて、男にすぐついて行くんや」的なことを表すのに「Eはな、公衆便所やから」と吐き捨てたそう(親戚が集まる席でですよ?)

さすがの母も、ドン引きして「実の娘を公衆便所なんて言う?」と事あるごとに話していました(母も結構えげつない事言うけど、それには驚いたのね 笑)

 

 

あとは、私の実家で、ある時庭を掘り込んで、車庫にしたのです。

家の前の庭はほとんどなくなり、車を並べて駐車できるスペースに変わりました。

それを見に来たDはすかさず「中古車センターみたいやな!」

 

結局、こういう表現しかできない家系なんだと思います。

 

他にも

私の実家は山を切り拓いたニュータウン的な所だったので、Dは常々「あんな所、人の住む所やない!」とも、よく言っていました(人が住む為に、開発されたんですけどね)

とにかく何に関しても、難癖をつけないと気が済まないのだと思います。

 

 

ある時「公衆便所」と言われたEが結婚することになって、Eは私もよく知る地区の一軒家に越してきました。

 

そこは、大型車がひっきりなしに通り、土ぼこりの舞ってる感じの所なんです。

これから子どもを産み、学校に通わせる中で、なぜわざわざそんな場所に?と言いたい気持ちもわかるのですが、そこにEが住むと聞いた母は「よくあんなとこに家建てるわ!」「あんなとこ、うちよりよっぽど人の住むとこちゃうわ!」

 

母はDの「中古車センター」「あんな所人の住む所じゃない」の仕返しと言わんばかりに、愚痴っていました(DやE本人にはもちろん言いませんけどね。その分関係ない娘が愚痴のゴミ箱をやらされます)

 

やれ誰かが嫁いだと言えば「ぶっさいく!」「あんな男のどこがいいんだか」

やれ家を建てたと言えば「場所は、広さは」「フン、大したことないな」

狭い狭い世界の中で、どんぐりの背比べをして、毒を吐き合っていた、母方の親戚。

 

母の小さな発言も思い出してみると『あれは「負けた」と思って悔しかったんだろうな』『あれは「勝った」と思って、してやったりだったのだろうな』と思うことがどんどん出てきます。

 

tari97.hatenablog.com

母は、娘を自分の帝国の運営要員として、時には自分に自信を付けさせる武器として扱っていたのだなぁとは最近気が付いた訳ですが、少なくともDや伯母にもそういう部分はあったなと思います。