もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

『嫌』と思うことは、悪いことじゃなかったんだ

母の、親が偉い!娘は親の言うこと聞いて当然!

何で親が娘に気を遣わなあかんねん!

の思想から、当たり前にやらされていたことを他にも思い出していると、従順だった子どもの頃の自分がだんだんかわいそうになってきます。

 

これまで何度も書きましたが、母は「〇〇してもらってもいい?」という、お伺いを立てる、みたいな言い方も全くしないし

自分がやってもらうことに関しては、相手の意向無視で「ええやん、これくらい」と、自分のものさしでしか考えられないし

子どもに拒否権はなく、断ると怒られるしかないので

『あんなこと、ほんとはやりたくなかったんだけどな』ということがごろごろと出てきます。

 

よくやらされて嫌だったなぁということをまた思い出しました。

 

食後、満腹になった母はソファに直行して寝転ぶんです。で、毎回絶対寝転んでから「爪楊枝!」と、爪楊枝を取れと命令します。

 

毎日、爪楊枝を使わない日はないのに、何でソファに行く前に取ってから行かないのか?

しかも、母は食べるのが一番早いので大体それを母が言う時、周りはまだ食べてるんですよ。母が寝っ転がったまんま「早く取れ」と言わんばかりに片手を挙げて待ってる姿、思い出すだけでイライラします。

 

毒に気付いてない頃は何とも思わず食事を中断して渡しに行ってたし、食卓からソファまでもたった数歩です。何だそんなことぐらいって思うと思いますけど、それがもう十何年です。

子どもの頃は当たり前にしていたことも、母が嫌いになってきた頃からは母の一挙手一投足が鼻についてしまい、絶対にやりたくなくなりました。

『まだ食べてるから無理』と拒否したり、でかい爪楊枝入れをこれ見よがしにソファのそばに置いたりしましたがね(笑)

これも「食べてる途中に悪いけど、爪楊枝取ってくれへん?」くらい、言い方ってものがあればね…。

まぁ、そんな言い方できるくらい、人に気を遣える人ならそもそもまだ食事の真っ最中の人を立たせてまで取って来いなんて、言わないだろうけどね。

 

 

あとは、幼少期に夕食後や寝る前にマッサージをしろと命令されるのも大嫌いでした。

子どもは力がないので、足の裏を体重かけて踏めって言われます(私のかかとで母の土踏まずを踏む)。ふくらはぎを叩けというのも多かったです。

 

前も書いたけれど、私も片道3キロくらいの小学校に通ってたし、性格的に学校も苦手だったので、正直学校に行くだけで体力的にも精神的にも、ヘトヘトだったんですよね。

けれど「たり、足の裏踏んで」の一言で、拒否は許されません。

本当に、日課みたいにやらされてました。

 

時々、余程しんどい時には『今日はしんどいから勘弁して』と言っても「10円あげるから」「じゃあ100円」「じゃあ5分だけでいいから」「じゃあ3分」と、こっちがうんと言うまで、何が何でもやらせようとしました。

私はよく母に「しつこい」と怒られましたが、しつこいのはどっちだよ。

tari97.hatenablog.com

 

「これをやったら、アンタの足にも良いんやで」とか意味不明なゴリ押しもされたな。

何とか自分のお願いを聞いてもらおうと、必死な子どもといっしょです。

 

眠気で朦朧としながら、足の裏を踏み続けたことも度々。

それで、ちょっとふらついて痛い所を踏んだりすると、大げさに「痛い!」と騒がれ「そんなとこ踏んだら痛いわ!」と怒られることも。

 

自分が気が済むまでやってもらったら、ニコニコしてお礼も言うけど『もう眠いから勘弁してくれ』など、こちらの希望でやめた時には舌打ちでもせんばかりの気に入らなさそうな態度。

 

それでも、恐ろしいもので子どもの頃はそれが普通だと思ってしまうんですよね。

だから、母が「OK」を出すまで『まぁこんなものなのかな』と、従っていました。

 

今思うと、子どもを家来みたいに使って、さぞかし楽しかったでしょうね。

 

『本当は嫌だったんだ』と気付いた後に『嫌って思うのは悪いことじゃなかったんだ』と更に気が付いたのが本当に最近なので、子どもの頃、するのが当たり前と思ってやってあげてた自分が健気すぎて、不憫でなりません。