先日、朝の出勤前に土鍋を落として割ってしまいました。
いつもは、朝飲んだカップも流しに置きっぱなしだけど、時間もあったのでその日に限って洗って行こうと思ったら、前日に伏せて乾かしていた土鍋の置き方が悪く、水切りラックから滑り落ちて豪快に割れました。
そういう時、咄嗟に自分をひどく責めて後悔する癖がまだ抜けていないなぁと気がつきました。
昨日あんな伏せ方したから!
今日に限って食器洗って行こうなんか思うから!
何でこうなったか、あの時ああしてれば…と
ほんの数秒で自分を責め、ひどく後悔するんです。
けれど、ふと我に返って、怒る人がいないのでほっとするんです。
割れてもーたwまぁ、また買えばいいか。
で済むんだ…と思えるのは、その後家を出て数分経ってからでした。
(大体、数百円の安物ですし)
やっぱりこれは、あの母に育てられたからなのかわからないけど。
ちなみにもし同じことを母の前でやったとしたら、あんな伏せ方するからや!とか、朝からいらんことせんでええのに!とか言われてたと思います。
母に怒られるのが怖すぎて、先に母が言いそうなことを自分から考えて、心の準備をしていたのかも知れません。
土鍋はまぁ結構盛大に割れたので、本当に「ミス」かも知れないけど、その他の日常のすごく小さなことでもこういう傾向があります。
母は、土鍋が割れただけでもきっと「死ぬ!」ほどのことになるので。
最近すごく思うのは、失敗も認め合って「次からこうしようね」と高め合っていくのが家族ってものじゃないのかな。
失敗をしたのが大の大人ならまだしも、小さな子ども相手にも悪気のない失敗も必要以上になじる母を思い出すと、一体家族って何なのかな?と、考えます。