もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「ごめんね」と言う勇気

毒親問題に取り組むようになって『母のこういうところが嫌いだったんだな』という部分が浮き彫りになってきて、やっと消化してきた感じがします。

 

初めの頃はただただ消化させるべく、とりあえず流し込み胃もたれしたら薬を飲む!みたいな感じだったのが

ちゃんとよく噛んで、嫌いなものは食べずに…という落ち着いた考えが持てるようになったみたいな感じ。

 

母に洗脳されて、何ともないと思ってたものが実は大嫌いだったり、母に言われて嫌い・苦手だと思ってたものが実はそれほどでもなかったり

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『これを嫌いだったんだ、私』から、『嫌いって思うのは悪いことではなかったんだ』と気がつけただけでも、自分の感情を母の前では殺して生きて来た私にしたら大躍進だと思っています。

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そういうことを、やっと理解して受け入れるようになってきました。

 

母の嫌いなところも明確にわかってきて、自分の怒りの真相もわかりました。

 

とにかく、偉そうに言うとかすぐ怒鳴る、馬鹿みたいに不機嫌になって場の空気を乱すところが一番嫌いだったことには変わりないですが

「謝らない」とか「相手の立場に立って考えたり、共感できない」ところもそれと同じくらい、嫌いだったことにも気がつきました。

 

母って、例えば「してはいけないこと」「すべきではないこと」をしたとして

「やってしまって、ごめんなさい」より、まず先に

「こっちにも事情があった」とか「私は悪くない」なんですよね。

 

理由がどうであれ

まず「してはいけないこと」をやったのだから、それに対して「ごめんなさい」

それに伴って相手を嫌な気分にさせたり、迷惑をかけたのなら「ごめんなさい」

 

「けれど、こちらにも事情があった」とか、正当性を主張するのはその後じゃないか?と思うわけです。

 

まず子どもが実際嫌な思いをした事実に対して「ごめんなさい」と反省するのが筋じゃないか?と思う。

けれど、多分、母の頭の中では「自分が一番苦労してきた」「そんなに大したことじゃない」

に加え「自分より、下」という意識のある娘に「なんで謝らなあかんねん」という気持ちも邪魔して

どうしても「ごめんなさい」より先に、自分の正当性を主張しないと居られないのだと思います。

(これがわかるまで、だいぶ時間かかりましたw)

 

私はずっと、そこを『謝らせたい』とか『分からせたい』と思ってたけど

これについては、もう諦めました。

わからないから「毒親」なんだし、もはや病気かなんかなんだろうなと思うことにしています。

 

 

別に「自分が一番偉い」とか思うのは勝手だし

母の場合「自分が一番苦労してきた」と「偉い」が繋がってしまっている人種なので、余計厄介なのかもしれません。

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確かに、素直に頭を下げることはなかなか簡単にできない時もあります。

母は結局、親としての威厳を保ちたいがために娘に対して謙虚になる勇気がなかった、かわいそうな人なんだなと思うことにしています。