もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

過去の栄光にいつまでもしがみつく母

前の記事で「移り行く家族のかたち」に対応しようとしなかった母の未熟さ と表現しましたが

tari97.hatenablog.com

これは母が「家族が歳を取って、役割や立場が変わる」ことにいつまでも抗い続けていた、ということです。

昔は自分が王様、家族は母の言いなりでしたが、みんな歳を取って価値観や生活スタイルが変わるとそうもいかなくなります。

母はそれを受け入れることができなかったのでしょう(できないと言うか、受け入れる気がなかったの方が正しいかな)

 

私がもう我慢ならず『家を出る』と言っていた頃、何とかして出て行かせたくない母は、姉に「出て行くなと言え」「それが姉としての役目だろう」と、命令していたそう。

姉は『たりにはたりの人生があるから、私がとやかく言うつもりはない』と拒否したそうですが、母からの度重なる押し付けに、気が滅入ったと話していました。

私が一番慕っている姉を使って「ほら、姉ちゃんもそう言ってるから」という切り札にしようとしたんだろうなと思うけど、これも結局そうですよね。

変わって行く家族の考えが自分の意と反していると、どんな手を使ってでも自分の思い通りにさせようとしていたことになります。

 

このように、母は「変わっていくこと」を、異常なほど受け入れようとしませんでした。

きっと、何でもすぐに決めつけ、イレギュラーに弱い「柔軟性のなさ」が「変わること」への反発に繋がったのではと思います。 

 

母がイライラして、言うこともめちゃくちゃで手に負えなくなっていたのは、私が家を出る前の数年が一番酷かった印象がありますが、何をそんなに怒り狂わないといけなかったのだろうとずっと疑問でした。

 

けれど、多分これも自分が家庭内でさほど称賛されなくなったことが、面白くなかったのだと思います。

その「変化」を、断固として受け入れたくなかったのでしょう。

特に母は料理の腕に絶大な自信をもっていたので、そこをいつまでも称賛の対象としていてほしかったのだと思っています。

母は承認欲求のかたまりですしね。

tari97.hatenablog.com

 

しかし、父は完全に酒さえ飲めたらいいみたいな態度で「もっと手の込んだ料理作ってよ」とも言わない、私は私で外食によく行くようになって「お母さんのごはん」がさほど楽しみでもなくなり、姉も結婚当初は実家によくご飯を食べに来ていましたが、ある時から全く来なくなりました。

 

皆、母に意地悪してやろうとかそんな気でやっているのではないし、こんな風に家族が変わって行くのはある意味想定内だと思うのですが(ただ、家族全員が母のワンマンっぷりに辟易していたのも事実)

料理に充てていた時間や労力を別のことに向ける知恵がなかった母はいつまでも「料理上手のお母さん」にしがみ付き、昔のように称賛されていたかったのだと思います。

 

その証拠に、実家にいた頃私が何度いらないと言っても、早起きをしてお弁当を作っていました。私はこれ以上母に借りを作るみたいなのが嫌だったし、本当にいらないからいらないと言っているのに

まるで私が強がっているかのように決めつけ

「そんなこと言ったって、食べるでしょ」みたいな感じで、作り続けました。

(ある時かなりきっぱり、理由も述べてからやっとやめてくれましたが)

正直、母はその頃少し頭がおかしかったと思います(いや、元々どこかがおかしいんだけどね)

何か、頭のイカれたストーカー女みたいでした(私のこと、好きでしょ?ね?ね?みたいな)

 

自信のある「料理の腕」で娘の心をいつまでも掴めると思ったのでしょうね。

最後はもうゴリ押しでしかなかったし、私は正直「料理上手のお母さん」なんかよりも「娘を1人の大人として認め、対等に接することのできるお母さん」になってほしかったんですけどね。