私が家を出てから、母が何度も私に言ってきた言葉があります。
「(たりは)あと少しの我慢が、何でできんかったんやろ?」
「あと少しの我慢」とは、父の世話もしなくて良くなって、住む場所や食べるもの、何よりお金に困らず母娘穏やかに暮らせる未来が待っていた
それなのに、父が亡くなるまでの数年の辛抱が、その程度の我慢が、なぜたりはできずに家を出たのか?という意味らしいです。
今まで何度も言われたし、未だに姉にも話しているようです。
家を出た当時は、この言葉を聞くのが嫌で嫌でたまりませんでした。
自分を『家族を捨てて逃げ出した娘』と毎回責めていたからです。
あの母から逃げたことは、恥じることでも、責められることでもなく、ただ生きるために必要な行為だったと今は胸を張って言えます。
確かに、実家にいたら今より裕福な暮らしができていたことは明確ですが、きっと心が死んでしまっていました(実際、既に死にかけていました)
でも全く迷いがなくこう言えるようになったのも、最近になってやっとです。
父が亡くなってすぐ、母がどう変わって行くかわからなかった頃に同じ言葉をかけられると
『確かに(父の世話が嫌で)ギスギスした母としか、暮らしたことがないしな』とか
もちろん実家に戻るなんてのは微塵も思ったことはないけど『穏やかになった母となら暮らせたのかな』と、金銭的な面で思う時もありました。
だからこの言葉をかけられる度に迷いが生じて『じゃあどうすりゃよかったんだよ』という苛立ちに押しつぶされそうになっていました。
けれど、精神的に母を切り捨てて、なぜ母があんな人間になったのかを掘り下げてきた今、これってやっぱり母の傲慢さをすごく表している一言だなと思います。
まずなぜ「私が我慢する」ことが前提なんだろうか?
この言葉を読み解くと、母は「自分には何の落ち度もない」と思っている節がありますよね。
まるで、年寄りの父とそれに伴う面倒だけが我慢の対象であると言っているような。
そもそも、そこがおかしいんです。
年寄りの父とそれに伴うことが我慢の対象であるならば、父の死後娘は実家に戻るはずです。
それをしていないってことは、そうではない(原因が「年老いた父」ではない)って、わかると思うんですけど。
それに、私は「(家を出たのは)父さんのせいじゃない」とも、何度も言いました。
そう言った時だけ母も自分で「父さんのことでいっぱいいっぱいやったから、今ならもっと余裕もってたりに接することができる」とか、申し訳なさそうに言いはするのですけど
結局いつも母の言うことは同じところに戻るあたり、自分には落ち度はないと本心では思っているのでしょう。
私は母と仲良くしたくて、お互い譲り合って暮らそうということを何度も何度も提案してきました。
父だって急死した訳でもなく、老い先短いことは明確だったし、いくらでも心の準備期間はあったはずです。
人には「もう少しの我慢!我慢!」と言うくせに、自分は何の下準備もしないんですね。
そんな人が「お父さんいなくなったら、穏やかに暮らせてたのに」とか、誰が信じると思う?という話です。
最近、ツイッターでこんな記事を見つけました。
好き、より嫌いな部分を共有する話 pic.twitter.com/ld519DWYD6
— さわぐち けいすけ (@tricolorebicol1) July 1, 2018
これは母が一番できなかったところ。このご夫婦の爪の垢を煎じて飲ませたいです。
人と暮らすということは、どちらか一方に我慢させることとは違う。
それは共存でも何でもなく「我慢させられる方」が「下」で、奴隷みたいなものです。
もし仮に、母が本当に穏やかに暮らすということを実行できていたとして「たりが上・母さんが下」という考え方も違います(母はそう思っているようですが。だから「もう少し我慢したら、上に立てたのに」と言いたいのでしょう)
私は、母の上に立って暮らしたい訳ではありませんから。
お互いの気持ちを尊重し、相手の立場になって考え暮らせたらいいなと、私はそう思っていただけですが、合わない意見は貶してこき下ろし、断固として譲らない。
何が何でも自分の思い通りにさせようとする。
ずいぶんと長い間そうやって生きて来ておいて、父の死後はたりに絶対服従で生きるつもりでしたというような調子の良すぎる発言。
父が歳を取って、もうすぐ家族のかたちが変わるだろうというビジョンが少しずつ見えてきても一向に自分のスタンスは変えようとはしなかったのはどこの誰ですか。
「絶対服従」なんて、口で言うのは簡単ですけどね。
私から言わせたら「少しずつでも、ちょっと相手の立場になって物事を冷静に考えてみる程度の(母にとっての)我慢が、何でできんかったんやろ」です。