もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母の「生きる糧」となっていたこと

前にも、生きる上で楽しめることが「対人」においてのみ、という人は危険だと感じるとこちらの記事でも書きましたが

tari97.hatenablog.com

それでも、そんな人は世の中にたくさんいると思います。

 

母の場合友達が皆無で、その「対人」が家族だけだったから、家族が請け負う部分が多すぎて家族関係において支障が出たのだと思っています。

tari97.hatenablog.com

20代前半で結婚して、仕事を辞めるというのは母の年代ではよくある話ですが、早くに家庭に入ったということを差し引いても、外部との繋がりが異様に少なかったと思わざるを得ません。

 

かく言う私も友達はあまりいないですが、さすがに母ほどではありません。

それに加え、私と母とで違うところを挙げるとしたら、私には「誰かがいる・いない関係なく、1人でも楽しめること(趣味)」があります。

 

母は、生きる上で楽しめることが「対人(ほぼ家族)」においてのみ

その上に「自分1人でも楽しめること(趣味)」が全くないため

夫も亡くなって、娘にもあまり寄り付かれなくなって、仕事も辞めて時間を持て余している今、正直『この人って今後、何を楽しみに生きるのかな』という気になります。

 

ただ、最近母には趣味がなかったと言うよりかは、多分「何でもかんでも家族に気持ちを共有させること」が、ある意味母にとっての趣味みたいなものだったのでは?とも感じます。

 

母の金への執着も、あそこまでいけば立派な趣味のレベルですけど

その金でいかに家族を動かせるか?という、結局目的が「人ありき」だったからお金を貯めることのゴールとして設定するには無理がありすぎたのだと思います。

本人はそんなつもりはない(ただ家族が楽しく豊かに暮らすことを目的としていた!)とは言いますが、された側からしたらそういう解釈になっても仕方のない部分が往々にして見受けられたことも事実。

家族の気持ちは、お金だけでは動かせません(雇うなら、話は別ですけど)

母が幼い頃、貧しい思いをして不幸だと感じたことをそっくりそのまま反転させて「お金さえあれば、万事問題はない。幸せになれる」に変換して処理したことは、あまりにも短絡的過ぎたなと言わざるを得ません。

 

それから、母の「よその家のスペックを異様に気にする」とか「職場の人の立ち入った話を持ち帰って来てはネタにして悪口を言う」とかいうことも『よくそんなに他人を気にする余裕あるよな(時間的にも、精神的にも)』と不思議でしたが、言わばあれもある意味母の趣味みたいなものだったのでしょう。

ああやって、よそと比べて勝ったと思えば優越感に浸り、負けたくない部分は何とか勝てる要素でカバーしようとしたり、そういったことに頭を働かせることが母の生きる糧となっていたのだと思います。

そりゃそんなことで一喜一憂できるなら、常に頭の中は忙しくはあるだろうし(劣等感や悪口なんて、作りだそうと思えばいくらでも作れるし、ある意味自分で沼にはまりに行っているようなもの)それが生きる糧となるなら、わざわざ「打ち込める何かを探そう」とも思わないものなのかもしれません。

私には理解できませんけど。

 

だから、家族が何でも自分の言いなりだった時代と、仕事にも行っていた時は悪口のネタに事欠かないので心が満たされていたのでしょうが(心が満たされると言うとちょっと語弊があるけど)

家族は誰も自分をマトモに相手にしてくれず、仕事も辞めて、物理的に悪口言ったりする対象もなくなってしまった。

いよいよ、やることがなくなってしまって本当にテレビを見るだけで1日が終わることになってしまった今、現状のまずさにやっと気がついたみたいです。

(母は「テレビを見るのが趣味や!」と豪語していますが、数チャンネルしかない中でタイムシフトで見たって限界があると思いますし…そもそも「好んでテレビを見ている」というよりかは、他に時間の潰しようがないのでテレビを見るくらいしかないだけなような気がします)

 

で、先日母と会った時に少しその辺の話をしたのですが(母は一体そんな状態で、今後どう生きていくつもりなのか)

そこでまた解釈の違いに驚愕の事実があったので、また今度書きます。