もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

お母さんは、悲劇のヒロイン

毒親問題に向き合うようになって、母って何でここまで「自分が一番しんどい」「自分が一番辛い」みたいなニュアンスでものを言ってきたのだろう?と、不思議で仕方ありませんでした。

確かに色々頑張ってきたことはわかります。

幼少期、貧しかったことは辛かったとも思います。

 

しかし、大きな災害に遭うとか、自分も含め家族が大病にかかるとか、そんなことも本当に今までなくて、家族は皆母の言いなりだったし正直結婚後の今までの暮らしで「自分が一番しんどい」「自分が一番辛い」なんて本気で思ってたとしたらだいぶ贅沢が過ぎるぞと思っていました。

 

それで最近母が病気になって、やっとわかったのですが

元々健康体で病気に無縁だった母が、年末に病を患ってやっと「無条件で辛い人・しんどい人の気持ち」がわかったそうです。

 

今回の自分の病気で「どうにもならないこともある」ことを経験し、またそれは母にとっては結婚後初めてと言っても過言ではないくらいの経験だったのだと思います。

 

もちろん、お金に困らなかったことだけは母の頑張りがあってのことですが、それ以外に前述のような天災とか大病とか「頑張ってもどうしようもない」とかいうこともこれまでなかったし

母は私たち家族と暮らすにあたって「自分がしたくない我慢」は断固としてしてこなかったから(家族の中ではいつも偉そうに自分が上に立ち、指図をする。譲り合うなんて精神もゼロ。全部自分の思い通りにゴリ押し)

今まで母が「自分が一番しんどい」「自分が一番辛い」と感じていたことが、世間一般からすればさほどたいしたことではないこと、(比べるものではないが、参考として)世の中にはもっと辛くてしんどい思いをしている人なんてごまんといること

これらのことを、今回の病気で辛くてどうしようもない気持ちを自分が味わってやっと気がついたらしいです。

 

これも、母の見聞の狭さの賜物なんでしょう。

だから、旦那が年上であるとかいうこともコンプレックスに設定して、カリカリしていたのだろうとも思います。

tari97.hatenablog.com

そんなこと、他人は何とも思ってないし、世間では取るに足らないようなことです。

 

結局「世界が狭い」この一言に尽きます。

tari97.hatenablog.com

 

確かに身近に例がなかったり、詳しく話を聞かないと、他人の辛さなんて垣間見えません。

母の場合、他人の境遇を一番知ることのできる友人が1人もいない(これは友人との幸・不幸を比べるためではなく「そういうこともあるのだな」という材料として、吸収する、という意味で)

ネット等で外部の情報を得られない(しかし、テレビや新聞などはあります。明らかに自分よりも辛い・しんどい人のことも見聞きするはずですが、そこは一体どう思って見たり聞いたりしていたのでしょうか?)

こういったことが重なり、いつまでも自分の狭い世界観のまま、悲劇のヒロインだと本気で感じていたのだと思います。

母お得意の自分に関わることは他人が取るに足らないことでも大きく騒ぎたてて

他人の「辛い」「しんどい」については「たかがその程度」なんでしょう。

tari97.hatenablog.com

母は何でも根性論でねじ伏せて、我慢を美徳にしてきましたが「母基準」のそれを強いられていたのはいつも娘たちであって、母は自分にはできる範囲でしかその基準を設定しないから娘にばかり負担はかかり、厄介な生きづらさや自己肯定感の低さが育ってしまったのだと思います。

 

母は「今までが順風満帆に行きすぎたんや」というような言葉も時々口には出しますが

私や姉が常々感じているような「他にももっと大変な人がいるのだなぁ」という視野を持つことは、今後もきっとないと思います。

だから、いつまでも「でもな」と自分を肯定するのに必死なんだと思います。

tari97.hatenablog.com

 

誰も今の母を認めてくれる人はいないから、自分で自分を無理矢理にでも肯定しないと「悲劇のヒロイン」のまま、居れなくなっちゃうもんね。

 

私は母と同じことを人にはやりたくないので、母に「たかがその程度のことで」とは(いつも思っては腹が立ちますが)言うつもりはありません。

 

が、どうぞ有り余る時間の中で、今一度自分の強いてきた根性論を思い返してみては?とは思っています。

 

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