もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

高校野球を楽しめた、今年の夏

昔から私は野球が好きで、学生時代かなり野球オタクだった頃もありました。

頑張ってルールも覚え、プロ野球観戦に足繫く通った時期もありました。

高校野球も大好きで、関連番組は必ずチェックして注目選手も覚えたりするくらいだったのですが

いつの頃からか、高校野球を全く見なくなってしまいました。

いつも、別のハマれる何かを見つけては元々ハマっていたものから離れるということが多いので、その流れで野球もあまり見なくなりましたが

元々好きだったものを嫌いになった訳ではないので、今でも前にハマっていた人やものを「嫌いで見ない」訳ではありません。

 

しかし、高校野球だけがある時から「見なくなった」というよりかは「見たくなくなった」という表現が正しい感じになってしまったのです。

春・夏の度に高校野球を見ようと思ってテレビをつけてはみるのだけれど、なんとなく見る気になれずすぐにテレビを消してしまうというのをもう何年も続けていました。

高校野球をつけてみても、何だか妙に嫌な気分になって

昔はあんなに大好きだったのにな、と残念な思いをしていたのです。

 

それで、今年は本当に何年ぶりかに休みの日には高校野球をBGMに過ごして

なぜ、ここ十数年高校野球を全く見る気になれなかったかがわかりました。

 

結論から言うと

私は若くて未来ある、希望あふれる若者の姿を見るのが辛くて仕方がなかったのです。

下の記事と、似た感情かも知れません。

tari97.hatenablog.com

 

私は、もし自分の人生がどこかで間違えていたとして、じゃあそれがどこからだと思うか?と考えた時、短大を卒業したタイミングだと思っています。

今思えば、あの頃の説明のつかない体のしんどさと、何もやる気の起こらない原因は

毒母のせいだったのではないかと思わざるを得ないのですが(短大に入学するのと同時に姉が結婚して家を出て、家族の中での色んなバランスがこの頃から徐々に崩れ始めていたなと今になって思うからです)当時はそんなこと疑いもせず、母のご機嫌をうかがい、自分が何者であるかもわからずに生きていました。

その最たる結果として、いよいよ自分の生き方がわからなくなった私は「新卒」という武器を全く活用できないまま、無職になりました。

今思えば短大卒業とともに無職で居た頃、姉が初めての出産で里帰りをしていた時期と重なり、私は姪の世話にずいぶんと重宝がられたので結果オーライではあったのですが

どんどん家族がおかしくなって行ったのもまた、その頃からだったような気がしています。

正直、私の体も心も、当時「就職」なんてできる状態ではなかったのだなぁと今になって思います。単なる言い訳のようにも聞こえますが、これが単なる甘えや言い訳ではないことは、読んで下さっている方が一番理解して頂けていると思います。

 

しかし、せめて自分の好きなものに好きという気持ちを注ぐことだけはやめないでいたいと願望があったので、好きなことはして生きていました。

しかし高校野球だけがどうしても見れなくなってしまって

今年やっとその高校野球をつけても何かざわざわしていた頃の自分を分析できて、理由がわかりました。

 

短大を出て数年、若さがあるのにそれをうまく活用できていない自分に当時私は相当なコンプレックスがありました。

ずっと、やり直したい・生まれ変わりたい・いなくなりたいという思いと『一体、どこからやり直せばまともな人生になるのだろう』ということを毎日考えていました。

それに加えて「働いていない自分」を責め続け、何度も死にたいと思いました。

 

無職の頃、女が我が子を殺害し、山に埋めたというニュースを見たことがあって、その原因が新しい男ができて子どもが邪魔だったからということだったのですが、私はその犯人の女にさえ『それでも、我が子を殺すくらいの熱い気持ちで生きているのだ。男が原因だなんて理由としては最低だけれど、そこまでしてまで一緒に居たいと思う熱量があるだけ、犯人のほうが私よりも幾分、毎日を必死に生きているのでないか』などと考え、犯人の女を羨ましく思ったことさえあります。

 

仕事を始めたって、その考えは抜けず、自分自身に合格点を出せることはなく自分を責め続ける日々でした。

当時、何かにつけて母からも厳しい言葉で責められていて、今思えばあれも「跡取り」をさせるべく、私を教育という名の洗脳をしていたのだと思います。

 

そんな私に、ただがむしゃらに汗と土にまみれて「野球」というものに一瞬をかけている高校生の姿は眩しすぎて、見るのがただただ辛かったのでした。

 

また、自分の親がおかしいのではないか?という疑念を抱き出してからは『親の理解があってここまで野球に純粋に打ち込めるのだろうな』『いいよな、マトモな親がいたら』という邪念も入り、ついには球児たちを『恨めしい』という気でしか見られなくなっていました。

 

何年も、昔は涙を流してまで時間の許す限り見ていた高校野球さえも大嫌いになって

一体私はどうしてしまったのかな?と思っていましたが、自分の中で解毒が進んだことで、純粋に『好き』という思いだけで、高校野球を見ることのできる自分に戻ってきたのだと思います。

どうやらこんなに簡単なことだったみたいです。

 

他にも色々気がついたことがあるので、また書きたいと思います。

 

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