もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

両親の幼稚さについて

私は母が嫌いすぎて、家を出てすぐは母だけを毒親だと認識していましたが

父が亡くなり、母とも距離を置き、父のことも考える余裕が出てきてからは『父親も父親だったな』と思うようになりました。

tari97.hatenablog.com

父の、遊び心があったり、いい意味で適当なところ、怒鳴り散らしたり手を上げたりしないところは好きだったので、母ほど嫌いではないにしても

やはり酒に関してのだらしなさについては根深く、私は未だに酔っ払いが苦手だし、迷惑のかかる飲み方をする人にはものすごく嫌悪感を抱きます。

 

最近、また見つけた毒親育ちの方のブログで、私たちの親の世代は人生の成功の選択肢が少なく、その中に「結婚生活」というものも含まれていて

そもそも結婚や子育てが向いてなかったり、夫婦のウマが合わなくても今ほど「結婚をしない」とか「離婚する」という選択肢がなかったから、我慢せざるを得ず、それがストレスにもなっていて

だからこそ、毒化した親も多かったのではと非常に私と似た見解が記されており

tari97.hatenablog.com

その中で、親世代はそういう少ない選択肢の中で生きてきてしまったがために「感情表現が雑」というような表現がありました。

「雑」と言えば少し大雑把に聞こえるかもしれませんが、常々私が母の表現方法に問題がある・乏しい等と書いてきたことと、意味合いとしてはほぼ等しいかと思います。

 

今の私と関わり合う、歳の近い人たちは公私ともに、比較的、もっとうまく相手との距離感を保ったり、相手を不快にさせないように丁寧にやり取りをこなしている感があり、その辺りに年代の差を感じます。

 

それを考えた時に、父は確かに温厚ではあったし、母のように自分の価値観を人には押し付けないものの、自分で決めたルールについては家族が何度アドバイスや注意をしても断固として聞き入れないところがありました。

 

断固として聞き入れないところは母も同じですが、母は偉そうに言い返す反面

父はその場ではそうか~ほんまやな~とあたかも「次から気をつける」的な返事をしておきながらまた同じことをやる、の繰り返しでした。

 

家族が嫌だからやめて!ということの中には

前も書いた、食器を訳わからないとこに仕舞う

tari97.hatenablog.com

洗面所ですぐモミアゲや前髪を切ってその髪のくずをきちんと処理しない

お風呂を出る前に追い炊きしすぎて父の後は熱すぎて入れない

トイレ後、消臭スプレーをしてと毎度言っても臭いままドアを開けっ放しにする

酒を家のあちこちに隠して飲む  等がありました。

 

ほかにも、父がしていたおかしな行動は多々あって、それらは別に迷惑がかかっていた訳ではないので今回は割愛しますが

先に書いた、家族が嫌だということに関しては絶対に聞き入れず、同じことを何度もやるので

その度に母がキレて、同じことで喧嘩になります。

喧嘩と言うか母が一方的にキレてるだけですが、聞いてるこっちは毎回毎回同じことで母が怒って、いい迷惑でした。

 

他に思い出すのは、母は物を溜め込むくせがあるので、書類なども捨てはしないのだけどいざ「あの書類が必要」となった時に、必ず「どこにやったかな」と探し始め

「捨ててはない!」と威張り倒すのですが(でしょうね。要るものも要らないものも全部一緒くたに置いてありますから)

いよいよ見つからないとなると「父さんも探して!」と怒り出し、父がまた「捨てたんちゃうん?」といらんことを言います。

そこでまた「捨ててない!絶対捨ててない!!」「父さんはいっつもそう!探さんと言うやろ!」と母がキレる、という流れ。

今思えば、幼稚過ぎます。

 

私は結婚はしていないし、他人と暮らした経験もないけど

いい歳になってから人と接しててこんなに低レベルな喧嘩なり言い合いなんてしたことあるっけ?と、考えた時に

両親の幼稚さに、心底がっかりしました。

そして時にはそれに子どもも巻き込まれ、今思えばとんだ災難です。

(実家にいた頃は母のこういうのに巻き込まれ何度喧嘩になったことか)

 

結局、父と母は「夫婦」「家族」とは名ばかりで、自我を通すことばかりを優先し

父は特に、一番先に死ぬのも自分だから、酒さえ飲めたらあとのことなんて本当にどうでも良かったのだろうな、と今になって思います。

父の「物腰が柔らかい」という仮面を被った姿に、長年騙されていたようなものです。

 

いかに、両親が幼稚だったか・精神年齢が低かったかに気がついてしまうと

父や母を本気で『いい親だ』と信じきっていた幼い頃の自分がかわいそうになるし

家族なんて、外見は理想の家族のように見えたって結局こんなもんなんだな、と、何とも虚しい気持ちに苛まれます。

未だに「家族」というものに『所詮…』みたいな感情をどうしても抱いてしまうのは、こういうことが原因なのだと思っています。