解毒を図る毒親育ちの人の中には、親に見切りをつけて「これからは楽しく生きよう!」と決心をする人も多いのではないでしょうか。
私もまさにそのうちの1人で、まず母と離れて暮らすようになったら、それだけで万事解決した!くらいの感覚になりました。
しかし、本当の闘いはそこからで、母と離れたということはある意味今まで当たり前にやっていた「感情に蓋をすること」や「自分の本当の気持ちを無視すること」をやめていくということでもあり(もうその必要がないので)
ごまかしがきかない分、しんどい数年を過ごしました。
もしかして、母の言いなりのまま、実家で暮らしていた方が楽だったのかも知れない…と本気で悩んだこともあります。
冒頭に書いた「楽しく生きる」
楽しくとは?と、当時、必死で考えました。
「自分のやりたいことをやる」「自分の道を自分で選ぶ」
きっとこんな感じ!と思ったはいいものの、なぜか、何もかもがうまくいかず
そんな中、人生初の心療内科にもかかり、仕事に行くことができなくなって
1日中、何をするでもなく数ヵ月家で引きこもっていました。
その時初めて「自分のやりたいことをやる」ではなくて「自分のやりたくないことはやらない」ことに目を向けてみたのです。
私は、昔からわりと自分のやりたいと思ったことはやってきたし、行きたいと思った場所にも行ってきました。
そんな中で『自分は、好きな物事には、お金も時間も惜しまず、それなりに楽しんできた。なのにまだ、満足できないのか』とずっと不思議でした。
一体、まだ何をやり足りないのだろう?と。
けれど、それよりも、自分のやりたくないことまでかなり親にやらされてきたことのほうが問題だったのだと、やっと気がついたのです。
私は自分の「やりたくないことは、やらない」という選択も、自分自身でしっかりやれてきたつもりでしたが、それ以上に母親から「やれ」「娘ならやって当然」ということが、とかく多すぎたのだと今になればわかります。
それを嫌々やってきたが為に「やりたくないことは、やらない」ことのやり方すら、わからないままだったのだと思います。
当時、仕事をまたやりたいと思うまで、何もしない!と決めたことで、そのスタートラインにようやく立てたのだと思います。
嫌なことも「親が言うから」「親が怖いから」と、我慢しすぎてきた毒親育ちの中には、こういう人が多いかもしれません。
今の私にとって「やりたいことをやること」よりも「やりたくないことは、やらなくていいこと」がこの上ない幸せなのです。
自分なりの「幸せになること」(=「やりたくないことは、やらない」という選択)のやり方がわからないから、せっかく親の呪縛からは解かれたのに、今度は世間一般の幸せの呪縛に縛られて失敗したりすることも、あるかもしれません(もちろん、それで成功したならめっけもんですが)
ちなみに私は、好きでもない資格取得の勉強をして、親を見返したら幸せになれると思って失敗したクチです(笑)
イメージとしては、現状打破するためには「足し算」ではなく「引き算」が、その時の私に合っていたのだ、ということ。
では、そんな私がどのように変わって行ったか?
また次回に書きたいと思います。
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