もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

嫌いなことを「引き算」してみる

前回からの続きです。

 

最近、一番変わったなと感じるのは仕事への考え方です。

 

私は昔から母に仕事が続かないことをボロクソに言われてきたし、本当に自分は仕事嫌いのどうしようもない人間なんだなと思っていました。

tari97.hatenablog.com

 

けれど、よくよく考えたら、私は元来「働くこと」は別に嫌いではないのです。

 

その証拠に(今は失業給付の関係でセーブしているものの)土日祝も働いたり、かなり不規則な出勤時間ですが、それなりに楽しく、派遣を切られる前は時々休みもなく働いていました。

 

では、働くことで私が一体何がそんなにネックになっていたのかと言うと

朝9時頃~18時頃(差異はありますが)・月~金という世間一般のサイクルが苦手なのと

仕事に付随する「通勤ラッシュ」と「人間関係」「仕事に直結しないことをやらされる」等が苦手なだけなのです。

これを自分の「やりたくないことは、やらない」理論にあてはめて仕事探しをするようになって、職場に行くのが昔ほど億劫ではなくなりました。

母のコネで入社したところなんかは、毎週日曜日の夜になる度に死にたくなるくらい月曜日が来るのが嫌で嫌で、当時の仕事内容なんて1日ネットして終わる日もあったくらい楽でしたが

とにかく車通勤もストレスだし(元々運転が嫌い・道が混むので普段の倍以上の時間がかかる)社風も、働いている人のタイプも、見事に合わなかったのです。価値観とか、考え方が…。

業務以外の活動も多く、「派遣だから」と一線を引いて参加しなくて済む派遣さんが羨ましくて仕方ありませんでした。

 

そこから、引き算を繰り返すこと数回

(車通勤をやめてみる、電車でもラッシュが嫌いだから出社時間の遅い仕事にしてみる、平日に休みが欲しいからシフト制の仕事にしてみる、人間同士のふれあいより時間内で仕事をやることに重きを置いてくれそうな所を探す など)

ずっと自分が勝手に思い込んでいた(親の刷り込みもあった)「仕事」への概念をこうやって引き算することによって、やっと仕事が死ぬほど嫌と感じなくなりました。

 

そして、不思議なことに「やりたくないことは、やらない」ことができてくると、職場でもストレスが減ったのか

自分の思っていることをハッキリ言えたりできるようになりました。

職場って、こんなに心地良い場所なのだと、自分でも驚いています。

数ヵ月経ったら、またどうせ辞めたくて仕方なくなるのだろうな…と思っていたら、もう半年以上があっと言う間に経っていました。

 

「通勤ラッシュなんてみんな嫌だよ」「人間関係なんて誰でもめんどくさいものだよ」

きっとそう思う人もいると思います。

 

けれど、逆に考えたらたったこれだけのことから「逃げた」だけで、こんなに快適に働くことができるならやってみる価値はあるのでは?と、実際にやった私は思うわけです。

ただ、我慢や耐えることを「やめておけ」という気は、私はありません。

もちろん、人それぞれ、守るべきものがあったり、事情もありますから

「そうは言ったって…」と思う方も、いると思います。

地域性もあるかも知れないですしね。

 

ただ、その我慢が、本当にできそうか?そこまで必要なのか?

耐え難いくらいのストレスになっていないか?

それを精査することで、死にそうな心が少しでも元気になるなら、やってみてもいいのではないかな?と思うだけです。

tari97.hatenablog.com

 

毒親育ちは幼い頃から「嫌」「キライ」「無理」「やりたくない」「逃げたい」等の感情を、きっと人より殺して生きてきてしまっている。

それを大人になって、選択をして逃げたり、手放すことは甘えでも何でもなく

人よりたくさん持ち過ぎたものを、ただ「降ろす・捨てる」というだけのことだと、私は考えます。 

 

むしろ、甘えであってもいいと思います。

本来、甘えるべき場面でも『甘えたらだめだ!』と既にたくさん踏ん張ってきた毒親育ちは多いと思うからです。

 

このニュアンスが伝わればうれしいです。

 

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