最近、昔自分はどんな気持ちで、どんなことを考えて生きていたかなぁ?と、よく考えます。
「昔」と言っても、子どもの頃のこと、大体が学生時代から20代にかけて生きるのが一番しんどかった頃のことなど色々です。
前にも書きましたが、私は10代後半~20代という、人生の一番輝ける時期を
母に捧げ、母の言いなりになって、自分が何者であるかもよくわからず
ただ何となく毎日を生きていたことが、どうしても悔しくてやりきれません。
その頃、私はよく、家の窓から遠くに見える道路のテールランプをじっと眺めたり
ある時は遠くに見える大きな橋のイルミネーションが23時に消灯されるので
そのイルミネーションが消える瞬間まで、窓際に腰掛けて、消えたら寝るというのをよくやっていました。
それから、昔から流れる水を見るのが好きで、たまに1人で家の近くの川を見に行ったり
これは小学生くらいの頃の話ですが、学校の帰りに水の流れる水路を見ながら帰るのも好きでした。
水が次から次へとなみなみと流れる様子をずーっと見るのが好きでした。
当時はそんな自分を『暗いな』くらいにしか思っていなかったけど
最近そんなことは全くしないし、あれって一体何だったのだろう?と考えていました。
それで何となく思い出したのですが
車のテールランプとか、街の明かりとか、川に流れる水とか
そういう「感情を持たないもの」の気持ちって、一体どんななんだろう?
(感情がないから、気持ちもないんだけど、自分があれになれたら、ラクなのだろうか?みたいな感情)
と、考えたりしていました。
光は輝きを放つことに、水は流れることに
いちいち苦しさも感じないまま、消えていきます。
生きるのがしんどすぎた私は「感情を持たないもの」に、憧れがあったのかな?
その「刹那」な感じが、羨ましかったのかな?と、今になって思います。
思えば幼い頃も、虫や動物に対しても、よくそういったことを考えていました。
虫って、わざわざ生きることにこんなに苦しい思いしないのだろうなぁとか
動物は何も考えないで生きているのだろうなとか(公園のハトとか)真剣に考え
いや、でも人間っていう恐ろしい敵がいるし、生きるためにもっと必死な思いをしている動物もいるよな。優しい人に飼われたペットならまだしも…等と考え出すと
結局虫や動物もしんどいやん!と思い
じゃあ、植物は?と考えるのですが
植物だって「咲く」「育つ」という目的があるし、外敵も多いから、しんどそう…
じゃあ、まず「生き物(植物も)」は、嫌だな~
次に生まれ変わったら、いっそのこと「感情を持たないもの」になりたいなぁ~
と、そういうことを、延々と考えていた記憶があります。
(マジで暗い子どもです)
昔、10年くらい前かな?
室井佑月さんが本を出版して、その一文にこんなものがありました。
" 息子を産む前はね、早く死にたいと思ってた。あと何回食事をして、トイレに行って、お風呂に入って…と電卓をたたいてたの。
いま? 長生きしたいというより、息子のために正しく生きたいって思うようになったかな "
前半の一文が、当時『すごくわかる!』ってなった記憶があり、この言葉は私の頭の片隅にあって(子ども云々は私には関係ないです)
辛いことや苦しいことがあると必ずこの言葉を思い出します。
あと何回、こんな思いをしなきゃいけないのだろう。
毎日毎日、化粧して、電車乗って仕事して、ご飯食べて、風呂入って寝る。
私は別に生きることに輝ける希望がある訳でもないし、ただ『あんな親のせいで、死ぬ道を選びたくない』と思って逃げてきただけで
結構人生詰んでるのは自覚しているし、ただひとつ、自分を大切にして生きようということだけを目標に生きているだけです。
そんな中で、もし生まれ変わったとして私は何になりたいか考えたけれど
とりあえず人間としてもう1度生まれて、性別も肌の色も何でもいいけど
あの親のもとにだけは生まれたくはないな、という結論に至りました(笑)
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