もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母の「グレーゾーン」だと思う部分

最近は平日が休みなので、平日に出かけることが多いのだけど、母くらいの世代のおばさま方が集まって、ランチに来ている光景もよく目にします。

もちろん母娘もいます。

 

かつては私も母とよく、買い物やランチに出かけたりしていました。

母が機嫌が良い時は楽しかったけれど、結局「どこで機嫌を損ねて爆発するかわからない」部分は改善されなかったし

そのうち『こんなに気疲れするなら、タダでも行きたくない』と思い断るようになって

 

けれど、楽しい時(母が機嫌が良い時)も確かにあって

母がもう少しマトモな頭だったら、あの2人のようになれていたのかなぁと

ランチの列に並ぶ、母娘を見ていました。

 

 

母は昔から友達がおらず「同性と遊びに行く」というのを聞いたことがありません。

ちなみに、父も友人がいませんでした。

こんななので、同窓会とかに行くから今日は遅くなる!とか

親が言って出かけるのはドラマの中だけの話だと、結構いい歳になるまで本気で思っていました。

 

まぁ、母はすぐに怒ったり、思い通りにならないと不機嫌になったり

協調性のかけらもないし、そりゃ友達なんかいないわな。ということで納得していましたが

もしかしたら、母は母なりに人間関係を築こうという気はあったのだけれど

それが多分うまく出来ないというか、出来るスキルが元々備わってないのではないかと最近思うようになりました。

 

前回も少し書きましたが。

tari97.hatenablog.com

 

 

それを感じた出来事が、まずこの記事の冒頭に書いた母くらいの世代のおばさま方(6人くらいのグループ)

その後ろに並んでいると、おばさま同士で

「あなた、先にどうぞ」「いいよいいよ、〇〇さん、座り」「じゃあ、私座らせてもらおう、ありがと」(待ち合い椅子に限りがあったので、お互いで譲り合っている)

そういったやり取りが聞こえてきて『あ~これだ』と思ったのです。

母って、こういうものの言い方が、全くできないのです。

 

このブログでも何度も書いてきた「お伺いを立てる」ようなものの言い方ができないのも『何でできないのかな?』と不思議で

tari97.hatenablog.com

「単なる自己中」として片付けていたけれど、どうも最近感じたのは

母って、そういう譲り合い等の「やり方がわからない」というか

母の頭の中に「できる回路が備わっていない」のではと、思うようになりました。

 

「座りたいから、座る。それの何が悪いん?」で

自分の気持ちに正直に従っているのみで、悪いことをしている感覚はない。

確かに悪いことではないのだけれど、万事がこういう調子だから、相手を不快にさせるのではないかな、と。

 

それともうひとつ感じた、似たような話

姉から聞いた話、どうも母は「本音と建前(社交辞令)の境目がわからない」みたいです。

 

母がごく最近、たまたま友達になった女性がいるのですが

(友達が壊滅的にいないことが、娘に相手にされなくなっていよいよまずいと思ったらしい。今さらすぎるが)

母が体調を崩した時に、その友達が「欲しい物とか、必要なものがあれば言ってね」と言ってくれたそうで、ほうっておくとそのうち

「牛乳がないから、買いに行ってもらおうかな」とか「病院の送り迎えしてもらおうかな」とか、その女性をパシらせるみたいなことを母が言い出したので

(ちなみに、そういったことは全て姉がやると自ら母にも言って、実際やっているし、そんなことだけを友人に頼む必要は全くない)

 

相手に何かのついでがあるならまだしも、相手が言っているのはそういうことではないでしょ…(牛乳1本のために、友人に車を走らせるのは、常識外れだ)と、姉が言うと

「欲しい物とか、必要なものがあればいつでも言ってねって、言ってくれた」

(だから、今牛乳がないから買ってきてもらおうと思った)

「そう言ってくれたのに、頼んだら何であかんの?」

と、大真面目に答えるそうです。

 

その後も姉が、それは単なる社交辞令だから。ってことと、逆にこういう時に、こういう場合なら頼んでもいいと思う。の境目を事細かに説明しても

全く理解ができなかったらしく、最終的に母は

「じゃあ何でそんなこと言うん!」「できへんのなら、言わんかったらいいやん!」と

大真面目に反論したそうです。

 

その話を聞いた時『こりゃだめだな』と思いました。

 

結局「人とうまく付き合う」という部分については、すっぽり、大事な何かが抜け落ちているのでしょう。

血の繋がった娘とすら、マトモな関係を築けないくらいですから。

 

そういった部分が、母には往々にしてあり、他人だと切れば済む話ですが(だから友達がいない)

家族に関しては夫や娘の頑張りで何とか保てていただけの話で

 

こうやって考えていると、きっとどこかの時点ですでに私は、母を追い越し

ずっとずっと大人だったのだなぁと思います。

 

さっきの「座りたいから、座る」も含めて

全部自分が主語でしか考えられない(自分が〇〇したい。だからする)

感じたこと・言われたことをそのまんまやっているだけなのに、何が悪いの?という部分が、どうも、グレーゾーンな気がします。

 

そしてまた、私が長年苦しめられていた部分が、まさしくそういう部分だったのだということにも気がつきました。

 

まぁ、気がついたところで、時すでに遅しだし

悪気がないからって、許せることではないと思いますが。

 

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