もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

我は通したい・金は使いたくない 勝手すぎる毒親

母はこれまでに何度も書いてきたように、自分の物差しでしか物事を考えられない・物事を一定の方向からしか捉えることができないという部分があるので

自分のやりたくないことは、断固としてやらないくせに、娘には本人の意思と関係なく、無理矢理にでもやらせる傾向がありました。

 

結局、これが一番耐え難く、私は家を出ることになった訳です。

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もちろん、一番の原因は冒頭に書いた、母の考え方の柔軟性のなさだとは思いますが

母が異常なまでの守銭奴だったのも手伝っていたのだろうなぁと、最近感じています。

 

今1人で暮らしていて『これも母にやれと言われて嫌だったよなぁ』ということが、要所要所で出てくるのですが

母はなぜあんなに「私にやらせる」ということにキ〇ガイみたいにこだわっていたのか??

よく考えたら、お金さえ出せばそこそこ解決していたようなことも、たくさんあったのです。

 

私は実家で嫌という程掃除機掛けをやらされたことがトラウマで、1人暮らしを始めてすぐにルンバを購入しました。

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実家にいる頃にも、ルンバの購入を提案しましたが、母は「別に掃除機掛けるくらいどうってことないやん」⇦ しつこいですが、母は一切しないんですよ

「そんなん買うのもったいない」

「あんなうまいこと、吸わへんと思うで」⇦ 知りもしないくせに自分が認めないものはすぐこうやって憶測で批判します

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何だかんだと理由をつけては、最終「たりがやったらええねん」から、関係ない話で丸め込まれ、最終的に喧嘩になって、キレ出すと収集がつかなくなるので、また私が嫌々やるという流れでした。

これでは母の思うツボだし、母にも「しめしめ。またうまいこと言えば、たりがやりよるわw」ぐらいに思われていたんだと思います。

 

そして、今の家に移ってきてから、掃除機掛けのストレスから解放されて『なんだ、こんな簡単なことだったんだ』と思いました。

 

他にもものすごく些細なことなのですが

ファンデーションをつける時のパフを洗うのを、母はいつも私にやらせようとしました。

私がまだ化粧をしない頃は、母が自分で洗って干していましたが、元来がキレイ好きではないので『洗えてる?』みたいな、茶色いままの仕上がりだったことを覚えています。

そのうち私が化粧をするようになり、パフ用の洗剤を買って洗っていると、その洗い上がりは一目瞭然なので「母さんの分も洗って」と、母が頼むようになりました。

私は『この洗剤ここにあるから、使っていいよ』と、何度も言いましたが、それ以降何としてでも私に洗わせようとして、何枚も溜めては、私が洗っているところに「これも」と走って持って来る始末。

最終的にまたこの件でも喧嘩になったことを覚えています。

 

たりも心の小さいヤツだなぁ、それくらい洗ってやれよと思うかも知れませんが、その頼む態度が気に入らないのです。

「悪いけど、これもついでに洗ってくれない?」という言い方ならまだしも

ハナから「娘が洗って当然!」みたいな態度で来るので、私が難色を示すと

全く関係ないことまで持ち出して(こんな家に住めてるのに、これくらいもやらないなんて人としてどうなの?みたいな)人格否定までついでにされるのでね。

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今なら『そんなもん今関係ない。母さんが洗いたかったら勝手に洗え』と言えるのだけれど。

 

当時は洗脳されていたし、母が怖かったから、嫌々従っていました。

その「嫌々」が、結局こんなに何年後も尾を引いているのです。

毎回、パフを洗う時にそれを思い出して嫌な気分になるので、パフ用の洗剤を買うのはやめてたくさんストックを置いて汚れたら捨てるようにしました。

また『なんだ、こんな簡単なことだったんだ』って思いました。

ちなみに母と喧嘩になった時も『百均でいっぱい売ってるから、洗うのめんどくさかったら買えばええやん』とも、何度も言いました。

 

また母は「もったいない」からの「ええやん、たりが洗えば」で

この母の異常な「もったいない」も、母が自分で何とかしようとしないということに拍車をかけていたのかも知れません。

 

 

自分のやりたくないことは絶対にやりたくない

だけど、お金は使いたくない

じゃあ娘にやらせよう

 

母の行動は、今思えばほとんどこれでした。

そんな勝手な話、あるかって話です。

 

この間、母は「私は貧乏(のトラウマ)に、負けた」と、呟いていました。

そのとおりだと思います。

実家にいる時、口では何だかんだ言っていた母でしたが

母が傲慢なところは、絶対に変わらないだろうと、私はわかっていました。

だから、金にモノをいわせて、自分の手間を少なくして母と共存する道を提案したのです。

それを「もったいない」の一言で、検討すらしなかったのは母の選択です。

 

そういえば、娘に無理矢理やらせることを遂行するためなら、あれだけ普段人をほめない母もあの手この手で娘をおだてていました。

本当に勝手です。

 

これについても、また書きたいと思います。

 

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